泥棒の天国 by R・J・ラッシュドゥーニー
泥棒の福利と安全を保証する社会秩序を作らねばならないとする。どうしたらよいだろうか?
もちろん、この世を窃盗と泥棒にとって安全な世界に変えなければならない。
泥棒が自由に盗むことができ、しかも、その泥棒に対して誰も盗むことができない社会秩序を作らねばならない。
次に、窃盗を尊敬に値することと位置付けなければならない。
単純明白な直接的な窃盗には、犠牲者に対する個人的な強奪が含まれる。
間接的な窃盗とは、誰か他の人を雇ってそれをやらせることである。
合法的な窃盗は、政府にそれをやらせる。それは、もっとも尊敬され、名誉を受ける行為であり、泥棒の天国に含められるべきである。
さらに、合法的な窃盗は、経済学者と専門家からの名誉のお墨付きを得なければならない。
劣悪な、混ぜ物をしたお金ほどそれに適したものはない。インフレは単純な操作で起こる。悪い農夫がミルクに水を加えるのと同じ要領でやればよい。
ある線を越えると、それは水で薄めたミルクではなく、「ミルクっぽい水」でしかなくなる。しかし、幸いなことに、泥棒の天国においてインフレは尊敬に値することであり合法的なことである。なぜならば、権力を握っているのは泥棒であって、農夫ではないからである。
泥棒の天国において非常に尊敬されるもう一つの行為は課税である。もちろん、神は十分の一で満足されるが、傲慢な泥棒は「いいカモからは毟り取らねばならない」と考えている。
「課税率が40パーセントを超えている? まだまだ序の口だ! もっと毟り取れ!」
泥棒の天国では、尊敬されることが重んじられるため、教会も学校も大学も重要である。
これらは、人々に窃盗がいかに道徳的な行為であるか説明する。「福祉は財産よりも優先されねばならない。」「人権は所有権よりも尊重されねばならない。」と教える。
善人に向かって「毟り取られることはあなたがたの義務です」と説得できる世界ほど、泥棒にとってすばらしい環境はない。
さらに言えば、「無駄な競争を排除するために、泥棒たちは世界的に団結すべきだ」という考えを泥棒の天国の新しい道徳に加えない手はない。
「要するに、優秀な泥棒は人々から毟り取ることに集中すべきである。」これこそ、すべての泥棒を団結させるための共通の信仰である。
ならば、世界的なスケールで搾取を推進するための統一世界組織を創設するために団結しようではないか。
もちろん、それを行うには、まだ一つだけ大きな障害が残っている。神は時代に追いついていないし、救いようがないほど時代遅れである。神はまだ「盗むなかれ」と言っている。このような古臭い時代遅れの道徳や、このひどく古ぼけた神は、穏便に排除されねばならない。
「盗むなかれ」という言葉は市民にしか向けてはならない。市民は、泥棒から盗んではならない。泥棒国家はこの法律の適用対象外である。神については、「死んだ」と宣言できる。
現在、一つだけ取り扱われていない問題がある。ピラトとサンヘドリンの人々がかつて気づいたように、神は非常に非協力的なお方である。神は、死んだままではおられない!そして、すべての傲慢な泥棒にとって厄介な問題を起される。
時代は変わっても、神は変わらない。時代は、(神にとってではない!)大きな問題に向かって前進している。 (R.J. Rushdoony, Bread Upon the Waters: Columns From The California Farmer [Fairfax, VA: Thoburn Press, 1974], 1–2.)
2005年5月7日
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