いったん献身した者は神に引きずり回される
私は、大学時代に、伝道集会で、献身の招きに応じました。
いったん献身を表明した人は、自分で勝手に仕事を選択しても、仕事にものすごい「違和感」を味わうことになります。
これは仕事がつらいとか、社会の厳しさを避けたいとか、誤解をもたれることが多々ありますが、違う!!!
召しを受けた人は、それ以外をやってはならない!!!
神殿の聖具のようなもので、それを世俗のために利用してはならない。
私の経験では、いったん献身を決意すると、神が「それじゃあお前は私のものだ」とお考えになるようです。
別の仕事をする苦しみは、たとえて言えば、モーセの十戒の映画の中で紅海が割れて両脇にできた水の壁の中に入るようなものです。乾いた道を歩いていけば無事に済むが、脇にそれると、水の中に飲まれるような、そんな感覚なんです。
神が用意した道だけを歩め、それ以外を歩むと、周りの人々を巻き込んで、心がものすごいことになる。
ヨナが召しを受けたのに、避けて別の方向に向かっていったときに嵐が起こりますね。
その嵐の中で舟に乗った人々が、「誰が原因でこうなったのか?」と探ると、ヨナだということになった。
そうです。ヨナが召しに従わなかったために、周りの人々まで巻き込んだ。
私にはそういう体験があります。
大手の総合商社に勤めていました。
かなりの額の報酬をもらっていた。新人にしては。
新入社員の中でも選抜され海外勤務だったので、2倍くらいもらっていた。
大学でロシア語を勉強した。
将来は、モスクワ駐在所の所長(部長クラス)をほぼ約束されていた。
幹部候補生ですから。
しかし、まるでコールタールの海を泳いでいるような苦しみだった。
不思議なことに、脳みそが機能しない。
だから、馬鹿呼ばわりされました。
初年度に派遣されたものだから、帰国してみると、みんな僕よりも1年実務経験を積んでいる。
それで、社員から「おまえこんなことも知らないのか」という具合。
本当に頭が回転しなかった。不思議な現象です。
それで、あるとき、「海外渡航者試験」という社内試験があって、それを受けたら歴代1位の成績を取った。
それで、「おまえ馬鹿じゃなかったんだな」と見直された。
それからある程度、空気がよくなった。
しかし、初年度のいろんな噂が後を引いて、新しい部署にうつると、そこでまた馬鹿扱いですよ。
とにかくひどいもので、すべてが裏目に出る苦しみを味わいました。
これが、僕の20代の前半の歩みです。
その後、会社をやめたが、トラウマは相当強烈に残りました。
20代後半は、神学校に入り、「やっと水に戻れた」という魚の気分。
やっぱり、これが自分に合っている。頭の回転が戻った。
神学をするのが本当に楽しかった。
まあ、こういう体験をしたので、召しの世界、預言者として、牧師として、選ばれた人々が、他の仕事をすると(とくに会社)、どういう苦しみにあうかよく分かります。
これは、超自然的なものであって、単なる社会経験の苦しみのようなものではない!!!
私が献身者として召されている人がいるならば、できるなら、そのままストレートに示された道を進むといいと思います。
社会経験も必要だが。
僕の場合は、父親が持病を抱えていて、「早く就職しろ」というような圧力もあったのが、心理的負担になって、自分で道を選択できなかった。
まあ、まだ道が固まっていなかったこともあったのでしょう。ふらふらしていた。
神学校に入って2年目で、神はラッシュドゥーニーと出会わせてくれたので、まさに用意された道だったと思います。
しかし、言いたいのは、自分の人生を神に捧げると決意したら、それは、もはや自分のものではないということ。
神様によって引きずりまわされることを覚悟できないと献身はできません。
主権者は神様です。
召されている人は、これと同じ体験を大なり小なり持っているでしょう。
人間には計り知れない世界が外にあって、そこから我々のことを見ているんですよ。
神と悪魔、どちらの勢力も、傀儡を求めている。
聖霊に満たされるというのは、神の傀儡となるということですから。
神も悪魔も、我々の中身を全部くりぬいて、自分の思うどおりに動く人間を求めている。
だから、献身しますとか、誓いを立てたら、最後、「よし!もらった!」と神の側も悪魔の側もすぐに動き出す。
そういう世界です。霊の世界は。
2010年8月17日
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