存在論的に多、契約的に一 7
<Perter様>
>キリストの肉体には罪はまったくありませんでした
そのとおりと考えますが、ローカルチャーチでもそう言っている訳です。下の資料をご覧いただけますと分かりますが、キリストには罪はなく、「罪の肉の様」−ちょうどモーセの上げた青銅のヘビのように、ヘビの形はあったが毒はなかった−を取った言うわけです。しかしその罪のない体にサタンをトラップして(取り込んで)、十字架につかれた。これがコリント後書5:21の「罪とされた」の解釈のようです。キリストはネズミ捕りのようにサタンを取り込んで十字架につき、サタンは墓に残して、復活された。これがサタンに対する勝利と・・・?いかがでしょうか?
在主
資料
主イエス・キリストが肉体を取られたとき、彼は「罪の肉の様」であった・・・。
キリストが十字架にかかったとき、彼はへびの「様」をした人であった。へびはサタン、悪魔、神の敵である。しかしキリストが人として受肉したとき、彼は罪の肉の様を取った。それはサタンの様でもあった ・・・。
神が人となり、その人をサタンとともにご自身の上に着られ、神はその人を十字架へともたらしたのである。サタンは自分が成功したと思い込んでいたが、しかし彼は自分自身を死に渡す簡単な道を主に提供しただけであった・・・。人を捕らえることによって、彼(サタン)は人の内に捕らえられ、閉じ込められたのである。続いて主が来られ、ご自身の上に人を着られ、彼を十字架へともたらした・・・。
同時に堕落した人の内にいるサタンも死にわたされたのである・・・。キリストは人をサタンとともに死に渡し、サタンを置いて死と墓から人をよみがえらせた。彼はサタンを墓に置き去りにして葬ったのである。そしてこのよみがえらされた人はキリストと一つである・・・。復活によって人は神と一つとされた。
受肉によって神は人の中に来られたが、復活によって人と神は一つにされたの である。今や神は人の霊の内にいる。
2006年4月14日
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