頑固者はカルトの城を作ってついには破滅する


隠れてしたことは、いずれ明らかになる。

神は、あなどれれる方ではない。人は種をまけば、刈り取りもすることになる。

韓国のわいせつ牧師は、こんな基本的な真理も理解していなかった。

私が、近年のキリスト教の牧師に感じるのは、「頑固」である。

真理をふみにじっても、人の名誉をずたずたに引き裂いても、自分の牙城さえ守ればよいと考えている「牧師」が多い。

私が以前体験した事件はこんなものではなかった。これよりも10倍大きくて醜いスキャンダルだった。

しかし、キリスト教界の他の牧師たちは被害者を無視して、その牧師を指弾しなかった。

さすがに日本での影響力は失ったがある派はなおも交わりを持ちつづけた。

義ということにいいかげんな交わりはいずれ腐って、今回のような問題を生じさせるだろう。

教会だけではなく、キリスト教系出版社、神学校とのかかわりの中でも、一貫して感じるのは「神をなめてる」ということだ。牧師も信徒も神を甘くみている。

私は、神を恐れる。神が怖い。不正を行ってそのままうまく逃げおおせるなんて絶対に考えない。

だから真剣に悔い改める。

金牧師の出身神学校の校長は、金牧師が異端的な考えを持っていたと述べているが、もしそうだったならば、そう判断した時点で切るべきだった。

はたしてそうしたのか?

何でもかんでも受容することを愛と勘違いしている今のキリスト教界の風潮を考えるとそうは思えない。

私は、教えにおいて異端に走った教職者は排除すべきだと考える。

腐れが回りに及ばないためだ。

この場合、受容は罪だ。

ヒューマニズムに汚染された教会は、このような切り捨てを批判する。

しかし、頑固で他人の忠告を退け、偽りを信じつづける意思が固い人間には、除名以外に方法はない。

彼らは健全な教えを拒んで、自分たちの中でまとまり、牧師が絶対の権力を持ち、健全な信徒を追い出し、ついにカルトの城を作る。

教会を白いペンキで全部塗りたくるなんて、パナウェーブと似ていないか?

内側にある悪霊がいつまでも善人面できると期待するなんて愚か者が考えることだ。

 

 

2005年4月7日

 

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