忍耐して待とう


我々の働きは、霊的な戦いの最前線である。

つまり、一番危険な働きだ。

プレ・ミレに基づく教会の活動は最前線ではない。なぜならば、すでに敵にトップを牛耳られているからだ。

サタンは仲間にはいい顔をする。そんなに攻撃しない。ずっと甘やかす。しかし、最後は滅ぼす予定なのだが。

しかし、彼らの計画を見抜いて、一番痛いところを突いている我々は、もろに攻撃を受ける。

不思議なことだが、この働きをはじめてから一貫して言えること:

我々の活動に逆らうと、変なことが起きる。

最初は偶然と思った。しかし、そういうことが何度も何度も起こるので、偶然ではないと考えている。

まず既存の教え、つまり、プレ・ミレ終末論、無律法主義、非契約思想にどっぷりつかっている今の福音派やその他のキリスト教の人々が我々と出会うと、逆上することが多い。

こちらは淡々と考えていることを述べる。しかし、なぜかものすごい怒りと敵意を燃やす。

裁判を開いて我々を追い出そうとする。

こんなことは、我々の仲間に何度もあった。

こちらが何か罪を犯したら話は別だ。何もしていない。

歴史的なキリスト教を講壇から伝えただけだ。

説教において「旧約律法はロードマップである」と説いただけだ。

しかし、ものすごい抵抗にあった。

これはラッシュドゥーニーもアメリカにおいて同じことを体験した。

講義の途中で立ち上がって文句を言うクリスチャンにそれ以上話ができなかった。

セオノミーについて説明したところ、殴りかかってきた人もいたと聞いた。

無理もない。200年にわたって、徐々に考え方を福音から別のものに変えられてきたのだから。

本来の福音を聞くと、逆上するのだろう。イエスが本来の聖書の教えを説いたら、パリサイ人たちが逆上したのと同じだ。

サタンは世界のクリスチャンの頭の中に巣を作ってきた。

その巣で卵がかえり成鳥が旅立っていき、ほかの人々の頭の中に卵を産みつけた。

姿はクリスチャンだが、考えている内容はまったく別物になった。

我々はこの巣を破壊しに来た。

我々は、サタンの卵を踏み潰すために来た。

怒るのも無理はない。

しかし、怒って、逆上して、「殿、ご乱心を」の状況になった人々は、自分で自分の実を刈り取った。

だから、「明らかにおかしいよ」と思うような態度が返ってきたら、「明らかに横車押しているでしょう」と思うようなことをキリスト教界のお偉方がするなら、その最後が来たと思ってよい。

早晩偽の教えは崩れる。

三位一体論を展開したアタナシウスに逆らったアリウスは最後に便所に落ちて死んだという言い伝えがある。

神の言葉を勝手にいじる人々には呪いがかかる。

我々は、神の言葉をまっすぐに、ただひたすらにまっすぐに説かねばならない。

自分の味付けをしてはならない。

素直になって謙遜になって御言葉から聞こうとする人々に神は祝福と力を与えてくださるだろう。

それまでは忍耐して待とう。

 

 

2009年12月25日

 

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