南京大虐殺記念館は日本社会党が作ったのか
南京大虐殺記念館は、どうやら共産主義世界統一運動の傀儡、売国奴の仕業だったようだ。
元、教科書是正訴訟事務局事務局長半本茂氏(海軍兵学校76期)が、南京市が大屠殺記念館を建設中、半本氏らの教科書是正グループ等が「止めて下さい」と申し込んだところ、「日本社会党書記の田辺誠氏が二度も頼みに来たので建てるんだ」と答えたので、半本氏は全国の新聞社に報告、しかし、国民新聞(平成元年12月25日)だけが掲載したのみだったようです。その事実を、平成5年、山本建造氏が「大東亜戦争は正当防衛であった」飛騨福来心理学研究所)に著したため、知る人ぞ知る、となったようです。
http://chinachips.fc2web.com/argue/080423_2.html
半本氏「あれは、昭和60年頃だったと思いますけどね、南京虐殺記念館を作りつつあるという情報が入ってきたものですから、これ何とか止めないといけないというので、何人か集まりましてね、それじゃあ、中国行ってね、交渉し、綱領を持ち込もうという話になったんですけど、ところが、いや、それはビザを受けられないだろうと。発行されないだろうということでね、どうしようということで、たまたま教科書裁判の仲間にマグチ・ヒロシさんという方がおられてね、この人は陸軍士官学校の53期だったんです。彼が『自分の同期に、中共軍の顧問をしているのがいて、それに話をして彼になんとか言ってもらったほうがいいだろう。』ということになって、それで彼に話をつければ我々は入れるというので話をしてもらいに行ったんですよ。そうしたら、亀岡さんが言ってくれたんです。それで向こうの参謀副長官かなにかに話をしたら、とんでもない話だと。我々には金もないのに、そんなのなんで作らなければならないのだと、言ったんですね。」
Ch桜「中共側が言ったんですね。」
半本「中共側が言ったんです。じゃあ、どうなんだと言ったら、作れ作れというのは日本側が言っているんではないかと。日本人が来て作れ作れと何回も言っていると。文句言うなら日本人に言えばいいと。そんなのは誰ですか、と聞いたら、『田辺』という人なんだと。はっきり聞いたんです。」
Ch桜「例の社会党の田辺さん・・・」
半本「社会党の田辺さん。」
Ch桜「委員長だったですよね。」
半本「そうですね。それで、『えーっ』っていうんで、その人は帰ってきて、『実はこんなことだった』と。じゃあ中国行って文句言いに行っても、何もならなかったと。悪いのは日本人だと。たまたま、それを裏づけするようにね、私の非常に親しいコグレ・ヤマトという参議院議員が、新潟出身でおりましてね、彼から電話で、たしか平成7,8年ごろでしたね。電話でね『いや、それは本当だよ。自分が中共軍のベトナム戦争のときの総司令官だったサイ・イップという人と十年来の付き合いで友達なんだけども、彼から直に聞いたんだと。あのときに、日本の総評から3000万円の金を持ってきたと。それであの記念館を建てたんだと。ところがそのとき870万円しか金がかからなかったと。それで仲間でみんなで分けちゃったと。そこまで話を聞いたよ』と。いうことで・・・」
Ch桜「とんでもない話ですね。」
半本「それから○○(聞き取り不能)から聞いたけどね、これはどうもあのー、あそこの設計がね、日本の設計だったと。」
Ch桜「え、設計まで日本人がやったと。」
半本「設計まで日本人がやったと。」
Ch桜「玄関のところに30万と書いてある。壁にはレリーフでね、残虐行為やっているし、もう庭行くとなんですか、その、社会党の議員訪問団が、その申し訳ない、申し訳ないと頭下げているし、あれ中国人が見たら、日本人がこれだけ謝っているんだから、きっとあったんだろうと思っちゃいますよ。なんか展示はめちゃくちゃインチキですけどね。インチキ写真とかごろごろしていて撮影させませんけどね。」
半本「なんで日本人が、そのー今となっては遅いですけどね。」
Ch桜「総評が3000万出したんですか。」
半本「これは、コグレ・ヤマトという参議院議員から聞いたんですけどね。」
2009年11月15日
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