クリスチャンの業はキリストの業と見なされる2
よく「我々一人が何をやろうと、現実は変わらない」という言葉を聞く。
ノンクリスチャンの場合はそうかもしれない。なぜならば、ノンクリスチャンはキリストの体にくわえられていないから。
我々クリスチャンは、キリストの体の一部であり、細胞なので、我々が行ったことは、必ず他の部分に影響を与える。
たとえば、我々が消化器の細胞であり、我々を通じて異物が入ったとする。
すると、白血球は異物に対応し、それを排除しようとする。
免疫のシステムが作動して、全力でそれを破壊しようとする。
このように、キリストの御体は、有機体であり一体であるから、一人が行ったことは全体に影響を及ぼすのだ。
そして、キリストは世界の王である。
だから、我々一人の行動は、世界を動かす。
けっして小さいものではない。
我々が祈ることによって、世界は確実に変わる。
我々が行動することによって、世界は前進する。
我々の周りにある悲観論を、取り入れてはならない。
こういう悲観論を吹き込んでいるのはサタンである。
我々が無力感を抱くように仕向けているのだ。
クリスチャンの一挙手一投足はことごとく世界に大きな影響を及ぼしている。
2009年10月30日
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