神を侮って無事で済むと思うな
昔、キリスト教の倫理を実践するといって、近所の不良グループに殴られるにまかせていたクリスチャンが殺されたということがあった。
無抵抗がキリスト教倫理だって?
キリスト教倫理は、「やられっぱなしになれ」ということを少しも教えていない。
キリスト教倫理とは、「訴える」ことを否定しない。
モーセ律法には、訴訟システムが含まれていた。
キリスト教倫理を「やられっぱなしになったイエス」を基準にするからこういった間違いが生じる。
イエスはやられっぱなしではなかった。
法廷で自分を殴った人間に、「なぜ私が間違ったことを言っていないのに殴るのか」と言われた。
法的正義を求めることは、善である。
法的に自分の権利を守ることは、善である。
いわゆるヒューマニズムに汚染されたキリスト教、ヘンテコなキリスト教によって、マゾヒズムのキリスト教が生まれた。
「防衛戦争も悪だ。無抵抗のまま殺されるべきだ」なんていう愚かな教えがはびこっている。
昔、よく「牧師は貧困に甘んじるべきだ」という教えを聞いた。
とんでもない。
聖書では、「教えに携わる長老には2倍の報酬を与えよ」と書いている。
牧師や伝道師は、一般の人々の2倍の給料をもらうべきだ。
もし教会が、牧師や伝道師に薄給を強いているならば、自分の首を絞めていることを自覚したらよい。
なぜならば、聖書的なことをしていないから。
聖書の教えに意図的に反抗して、どうして祝福されるだろうか。
牧師や伝道師に「貧乏に甘んじろ」と言いながら、「恵みが欲しい」なんてむしがよすぎる。
御言葉を軽んじ、教えを軽んじ、正しく教えを伝える人間を軽んじるクリスチャンは絶対に祝福されない。
牧師がこのレベルの扱いを受けているのを見ている子供達は、きっと「あの人々は、やる仕事がないからこんなことをやっているのだ」と思うだろう。
そして、結局、本当に食いつぶした人間が牧師をやるようになり、結局、我々の子孫がくだらない教えによって汚染され、キリスト教が死滅し、ついに、ノンクリスチャン化するのだ。
「もう二度と送るな」などといってくる非常識な人間は、自分の子孫において自分が蒔いた種を刈り取るのだ。
神を侮って無事で済むと思うな。
2008年7月3日
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