心を安定させる秘訣
(1)
車で旅行した。海岸線に沿った道を走りながら、横目で海を見て思ったのは、海の騒々しさと岩の安定であった。
聖書において、海は異邦人、岩は契約の民、すなわち、旧約ユダヤ人とクリスチャンを象徴する。
http://www.millnm.net/qanda3/55rg7dBbMP8I42900.htm
異邦人は、あってもなくてもよいような事に心を騒がせ、つまらないことに興奮する。本当に大切なものを評価できずに毎日の瑣末なできごとに振り回されている。
クリスチャンは、御言葉という安定した土台の上にいるため心を騒がせない。どんなことにもどっしりと構えている。
心が安定しないクリスチャンがいるならば、彼は、まだ信仰の土台が確立していないのである。
御言葉に絶対的な信頼を寄せることによって、クリスチャンは安定する。
ノアの箱舟は、世界の模型である。
箱舟の外は、異邦の世界。救いから漏れた人々の世界である。
箱舟の中は、契約の世界。救いに入った人々の世界である。
箱舟は、3層の構造になっている。
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これは、幕屋の構造と同じである。
なぜならば、幕屋も世界の模型だから。
幕屋の外は、異邦の世界。つまり、箱舟のモデルでは海である。
幕屋の内側は、契約の世界。つまり、箱舟のモデルでは陸である。
幕屋は、庭・聖所・至聖所の3層になっている。
幕屋は、異邦人の世界=滅びの世界の中に浮かぶ「救いの舟」である。
舟と言えば、イエスが行われた奇跡を思い出す。
嵐の中で舟が沈みそうになったときに、イエスだけは寝ておられた。
そして、心を騒がせている弟子たちに向かって「信仰の薄い者らよ」と戒められた。
舟はイエスの救いを象徴する。舟は滅びの水から救いの契約の中にいる人々を救い出す手段である。
我々は、イエスという救いの舟に乗っている。だから、心配する必要はない、ということをこの話は教えているのである。
(2)
よく人のことを干渉したがる人がいる。
他人の言動を矯正したくてしかたがないのだ。
しかし、我々は人を変えることはできない。
人に誤りを指摘することはできるが、その人を矯正することはできない。
矯正するのは神の仕事である。
我々は、自分の仕事と神の仕事を分けるべきである。
クリスチャンは聖書があるので、この境界線をはっきりと区別できる。しかし、ノンクリスチャンは聖書を信じないので、この境界線を区別できない。
だから、他人の言動が気になってしかたがないのである。
「騒音おばさん」がTVで紹介されていた。
隣人の行動が気になってしかたがない。隣人を変えようと、騒音をたてて嫌がらせをする。
顔を見たらまさに妖怪である。何かの霊に取り付かれたとしか思えない。
人を自分の理想の姿に変えることができるのは神以外にはない。
なぜならば、我々は他人の所有者ではないから。
だから、騒音おばさんのような人々は、独裁者の顔つきになってくるのだ。
彼らは自らを神とする者たちだ。
我々は、他人を変えることはできない。
自分と他人との間に一線を引くべきだ。
我々は、他人の誤りを指摘したら、後は神に委ねることである。
伝道も同じだ。伝えたならば、責任は完了した。その相手が信じるか信じないかは我々の責任ではない。
自分の責任の領域をしっかりと自覚し、それ以上のことについて心配しないという訓練をクリスチャンは積むべきである。
それによって、我々は際限のない心配や気苦労から解放される。
2007年7月7日
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