被造物を滅びから解放してあげよう
聖書の中心的な主張は、神と被造物の完全な和解である。
神が世界を創造された目的とは、神と被造物が正しい関係に復帰し、この世界が完成することである。
完全数7はこのことを象徴している。
神は3、被造物は4である。合計して7。
8は、完全数7の次にくるから、再出発、つまり、復活を象徴する。
割礼が8日目に行われたのは、その幼児が復活したことを表している。
人間は、新しく生まれなければ誰も神の国に入ることはできない。
生まれながらの人間は、アダム契約の中にいて、滅びの運命にある。だから、すべての人間は、生まれた時に、死んだ状態で生まれ、割礼(新約時代において洗礼)を受けて復活する。
洗礼は儀式である。だから、本質において信仰がなければそれ自体にいかなる意味もない。
割礼を受けた幼児は、神の家族の中に入る。信仰によって、キリスト族に加えられたのである。
教会はキリストの体であり、一体である。我々は一人一人細胞である。
キリストは人間として地上に来られた。
この目的は、人間を贖うためと、被造世界全体を贖うためである。
人間は、地のちりから作られた。それゆえ、地と人間は兄弟である。
ここに人間と被造世界の一体性がある。だから、アダムが堕落したときに、被造世界全体が堕落したのである。
それ以来、被造世界は虚無に服し、回復を待っている。
キリストが十字架につかれた時に、天にあるものも、地にあるものも、一切が神と和解した、とパウロは述べた(コロサイ1・20)。
しかし、同時に、彼は、「被造物は神の子の現われを待っている」という(ローマ8・19)。
ここに、人間だけではなく、被造世界についても、2段階の復活の教理が表現されている。
人間はキリストを信じた時に、救われ、復活した。
しかし、それは、「法的復活」である。「実際的復活」は最後にある。
被造物も同じである。被造物は、十字架以後、神と和解した状態にある。しかし、この和解は「法的和解」である。実際的に和解したとはいえない。
では、どうすれば実際的に和解できるのか。
それは、「人間が神の目的のために被造物を生かすことによって」である。
たとえば、自分の職業が神の目的のために生かされる時に、職業は神と実際的に和解する。
ノンクリスチャンは、アダム族であるから、神に敵対している。それゆえ、彼らの仕事も究極的に見れば神に敵対している。
ノンクリスチャンの生物学者は、職業を神のためと考えていないから、進化論を唱えて、神の御言葉を無視しても心が痛まない。しかし、クリスチャンは神の利益を第一に考えるから、御言葉を無にするような教えを受け入れたり、それを教えることに苦しみを感じる。
クリスチャンの業とノンクリスチャンの業とは、「キリスト族」と「アダム族」という所属する組織がまったく異なるので、その出てくる結果も異なるのである。
クリスチャンが関わる仕事、娯楽、家事、生活、あらゆるものは、神の御心のために行われるときに、その部分が「実際的復活」したのである。
ノンクリスチャンの仕事は「死」であるが、クリスチャンの仕事は「命」である。
だから、クリスチャンが増えて、クリスチャンの業が地上に満ち溢れるようになれば、世界の復活は完成に近づくのである。
被造物はこれを待ち望んでいる。
「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。」(ローマ8・19-22)
キリスト教は魂の救いだけを言っていると勘違いする人々が多いが、魂の救いは、被造世界の救いのワンステップである。
魂の救いを得た人々は、被造物の救いに乗り出すべきである。
我々が、神の目的と計画に従って各自の使命を実行するときに、その手の業は救いの中に入っていくのである。
アダム族は、キリスト族とは違う救いを自ら作り出したが、失敗した。
神の主権を無視したからだ。いや、むしろ神を王座から引きずり下ろそうとしたからだ。
彼らがいくら環境保護をやっても無駄である。それでは本当の救いにはならない。クリスチャンが神の栄光のために環境保護をやれば、それは実際に救いになるのだ。
クリスチャンはノンクリスチャンの原理を採用して、彼らのバスに乗ってしまった。そのために、自分の人生の中で行うはずの救いの業を行うことができなかった。
クリスチャンはノンクリスチャンのバスから降りて、聖書に基づいて独自に救いの業を実行すべきだ。
持ち場持ち場において、被造物を滅びの束縛から解放してあげよう!
我々が職業や様々な活動を行うときに、被造物は滅びから解放され、栄光の中に入っていくのだ。
2004年7月11日
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