律法は悪霊がもたらした?2
<O様>
「再建主義ウォッチング掲示板」から引っ張ってきました。
以下引用〜〜〜〜〜
東京神学大学教授で、口語訳新約聖書の中心的翻訳者である山谷省吾の『ガラテヤ書注解』を紹介したことから、再建主義者たちの頭の中は、大混乱を来たしているようです。
再建主義者は、神と悪魔しか存在しない二元論的パラダイムで生きているために、新約聖書の「三項図式」の世界観的パラダイムを理解するのが難しいのでしょう。おそらく、ここに、《××の壁》が存在しているのではないでしょうか?
パウロがガラテヤ書において、律法に批判的検討を加えていることは明らかであり、その律法批判の神学的手法として「天使的仲介」の概念を使用していることは、否定しようのない事実です。
ガラテヤ3:19前後の文脈においてパウロは、「律法」を次のように考えています。すなわち、律法は:
(1)「恵みの契約」に後から付け足されたものである。
(2)その有効期間は、「信仰による救い」が到来するまでである。
(3)天使的勢力を仲介として制定された。
(4)その天使的勢力は、「無力で頼りにならない支配する諸霊」である。
(5)律法の下に戻ることは、「無力で頼りにならない支配する諸霊」の下に戻ることを意味する。
これに対比させてパウロは、キリストによる救いの絶対優位を説いています。すなわち、<キリストを信じる「信仰による救い」は、天使的媒介を経ない、直接的な神の救いのわざである>のです。
このようなパウロの論理展開を理解するには、神と人の間に存在している、<キリスト高挙によって打破され、キリストの頭首権に従属させられている、潜在的に悪鬼的性格を持つ天使的勢力>について、きちんと把握していなければなりません。
そうでないと、<「天使的仲介を経て制定された律法」に対して、「仲介を経ずに直接もたらされたキリストの救い」が、なぜ優位に立つのか?>、また、<「律法の下に逆戻りすること」が、なぜ「無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りすること」になるのか?>という問いが、理解不能になってしまうのです。
再建主義の「二元論的パラダイム」と、新約聖書の「三項図式のパラダイム」との間にある、《××の壁》は、わたしが考えるに、「近代の世界観」と「新約時代の世界観」との間の、乗り越え難い壁、ということなのではないかと思います。
これが乗り越えられないとしたら、結局、<再建主義とは、近代的世界観の産物に過ぎない>と断定するしかないでありましょう。
引用終わり〜〜〜〜〜
「潜在的に悪鬼的性格を持つ天使的勢力」って一体何なんでしょうね?
山谷大尉さんは、神学書なんかに手を出してヒトを批判する以前に、もう一度日曜学校に入り直して、旧約聖書、新約聖書きちんと通読されたほうがよろしいのではないでしょうか?
<tomi>
O様。
もう山谷さんは、「律法は悪霊によって与えられた」ということを確信しているので、マルキオンの異端であることが明らかになった、ということでいいんじゃないですか?
貴重な時間をこういった駄文につきあうのはもったいないと思います。
一つ、律法が神によるものであり悪いものではないことを証明する聖句を出して終わりにしましょう。
ですから、もう彼の書いたものに相手をする必要もない。
「…律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。」(ローマ7・12)
2004年6月9日
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