反セオノミストは御言葉から議論せよ2
現在、同性愛や堕胎を重大な罪と見る人は少ない。
しかし、聖書はそのように見ている。
神は同性愛に溺れたソドムやゴモラに火を下し、滅ぼされたことからもわかる。
ソドムやゴモラの住民は、イスラエル人ではなかった。ということは、神は異邦人であっても、同性愛に溺れる文化を裁き、滅亡させられるということである。
イスラエル人に対して、神は、社会から同性愛者を除くことを求められる。
つまり、神は直接に同性愛を処罰するのではなく、イスラエルにそれを処罰するように求めておられたのである。
神は、人間を統治者として任命され、社会に義を行うように求めておられる。
この地上のすべての社会は、神のしもべである。神の命令に従わない社会は滅ぼされる。
現代社会は、聖書から離れて、独立して善悪を決定し、自分の判断で刑罰を決定しているので、同性愛に対する制限は徐々に撤廃されている。世界のある国々では、同性愛の結婚が認められている。
これらの国の人々は、「我々は、神から自由だ。我々が何をしようと、神が我々を裁くのは違法だ」と叫んでいる。
しかし、人間が、被造物であることをやめることは絶対にできないので、創造者である神の刑罰は確実にその社会の上に下る。
社会が神からの焼き尽くす火を回避するためには、同性愛を禁止する以外にはない。
「いやぁ〜、そんな神は横暴だ。そんな神は、我々には不要だ。おせっかいはやめてくれ。」と言っても、この世界が自分で成立したわけではなく、明らかに創造されたものである限り、創造者の決定の下に置かれているわけで、そんな反抗は虚しい。
神は、同性愛を許容する統治者を廃位させて、同性愛を禁止する統治者に代えられる。
どんなに抵抗しても、神の計画に逆らうことのできる人はいない。神は、神の法を破る人々をしりぞけて、神の法に従う人々に政権をお与えになる。
我々が暴力革命を起こして政権を奪取して無理やりそのような体制を作るというわけではない。
聖書が教えているのは、「すべての国民を弟子とせよ」ということである。
そして、その内容は、「バプテスマを授け、わたしが命令したすべてのことを守るよう教えよ」ということである。
だから、我々に許された変革の手段は、伝道と教育だけである。
「いやぁ、あなたが何と言っても、あなたはアルカイダだ」という人がいるが、もう議論を超越しているので話にならない。
我々は聖書に従わないで事を行うことが、結局のところ無益であると知っているので、「剣を取る者は剣で滅ぼされる」という教訓にしたがって、暴力革命を否定する。
暴力革命を行えば、一時的に政権を取ることができるかもしれないが、必ず暴力的に廃位させられる。
イスラエルの北王朝は、クーデターの連続であった。クーデターを起こした王は、クーデターによって滅んだ。
神は自分がやったのと同じことを自分に返される方である。無慈悲な人間は無慈悲に扱われる。虐待した人間は虐待される。神の法を超越して、専横に走るならば、専横によって苦しめられる。
金日成のように、たとえ、この地上において明らかな報いが来なくても、死後においてすべての清算が行われる。
この宇宙は人格的な宇宙である。神という人格を持つお方が計画によって統治されている以上、宇宙において行われた一切のことには、必ず責任が伴う。
無責任で終わることは一切存在しない。
伝道と教育によらずに行われた、クーデター的改革は永続せず、必ずクーデターによって報いられる。
このような手段に訴えるクリスチャンは愚か者である。聖書的なことをするためには、聖書的な方法を尊重しなければならない。聖書的な方法を尊重しないで事を行うクリスチャンは、実際のところ神を主権者として認めていないのである。
同性愛や堕胎に刑罰を下さなければ、社会全体が神によって処刑される。
日本が神からの処刑を免れるためには、自らを律して、正しく罪を裁くことである。そして、そのような体制を作る方法は、暴力によるのではなく、伝道と教育によって、社会の大多数の人々がそのような体制を望むように「心の変革」を行う以外にはない。
2004年8月31日
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