生徒が先生を選ぶことができるようにするべきだ
民主党は、教員の質の向上のために6年間の研修期間を義務化すると今テレビでやっていた。
まったくとんちんかんなことを次々とやるものだ。あきれてものが言えない。
指導力不足の教師が出ているのが問題なら、その教師は辞めればいいのだ。
どの業界でも職業適性がなければやめるしかない。
歌手に向いていない人間がいくら努力しても無理だ。
職業適性がないために辞職しても誰も文句は言わない。周りの人間だって向いていないことをやっている人に「がんばって続けろ」とは言わないだろう。なぜならば、適性がないことをやると回りに迷惑がかかるからだ。
先生に向いていない人が先生をやって一番迷惑するのは生徒だ。教え方が下手な人が先生をやってちんぷんかんぷんなら、その教科についてまったく学力が上がらなくなる。
ふるいにかけられることはよいことなのだ。
どの業界でも、適性がない人がいなくなることによって、職場は刷新され、活力が生まれる。
民間の場合、適性があるかないかは人気で判断される。
客が来なければ適性がない証拠だ。
予備校は厳しい。常にカメラで監視されている。ビデオに録画され、係員が全部授業内容をチェックする。
そして、アンケートというものがあって、それによって人気度がチェックされる。
人気がない教師は契約は延長されない。
だから、予備校では、質の高い授業が行われる。私の経験では、もっともよい授業は予備校で受けた。
最悪なのは、大学。教師にやる気がないことが多かった。しかも、自分の興味がある部分を選んで授業を構成するので、教育という側面がかけ落ちている授業が多かった。
私立の大学はどうか知らないが、国立の場合、人気なんか関係ないので、質の悪い授業が通用するわけだ。
適性がないことをやるなら、本人にとっても周囲にとって何もよいことがない。
だから、本当に民主党が改革したいなら、教師を生徒が選べるようにすればよいのだ。
つまり、単位制にするとかして、教室を固定せず、自由に授業を選択できるようにし、あまりにも生徒が集まらないクラスができたらその教師に退職を勧めるという制度にすればよい。
そうすれば、生徒にとっても、その教師にとっても、充実したライフになる。
このような教師の資質低下の問題は、公立学校、義務教育の制度が破綻していることから来る。
まず箱を作ってそこに先生も生徒も無理やり押し込むからだめなんだ。
義務教育制度は、共産主義の発案であることを忘れてはならない。
共産主義の夢、発展段階説、つまり、世界は原始共産制から始まって、封建制、資本主義、社会主義、共産主義と段階的に進化するという幻想のもとに義務教育制度が生まれた。
教育とは、共産的な社会の構成員たるべく、子供を社会の歯車に改造することと考えられた。
そういう幻想のもとに無理やり「教師は担当クラスを指導せよ。どのような子供が集まっても彼らをうまく管理せよ」「生徒は、どのような先生のもとであっても、授業を受けてしかるべき知識を身につけよ」との強制が行われる。
無理だ。
やる気のない生徒に教えることなどできない。やる気のない先生から学ぶことなどできない。
型からはじめるのではなく、実際からはじめるべきだ。
生徒が先生を選んで、実力があれば、残るし、なければ去る。
去ったほうが先生にとってよい。
自分に向いた職業につけばよいではないか。
一つで失敗したからといってそれは自分を否定したことにはならない。
なぜならば、神は異なる能力を与えておられるからだ。
人間は、適職を探すまで、何度でもトライできる。一発で見つかるわけがないではないか。やってみなければわからない。なんでも落ち着くところに落ち着くものだ。
魚でも鳥でも、自分に適した場所に巣を作る。
それが聖書的な職業観である。
共産主義の幻想的理念に縛られるな。
自分を解放しよう。学校を、生徒が先生を選ぶことができた昔の寺子屋のようにすればよい。
20010年2月1日
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