日本人は自分が神の民であることを自覚すべきだ
神の計画とは、キリストを契約の頭とした人間集団(エクレシア)に被造物を統治させ、それを永遠に相続させることにある。
これは、歴史を通じて徐々に発展し、最後に完成する。
十字架は、人間をキリストの集団に加入させるために存在する。
それは、いわゆる登竜門である。
エクレシアに加わりたい者の誰もが通らねばならない。
鳥居はそのことを表現した建築物であろう。
誰でもキリストの群れに加入したいなら、鳥居をくぐって、契約の領域に入らなければならない。
茅の輪くぐりの茅の輪は、神社の場合鳥居にくくりつけるが、相撲の場合腰に巻く。(蘇民将来の物語では、茅の輪を腰に巻けとある。)
だから、相撲取りは、みな契約の民なのである。
相撲とは、契約の儀式であり、世界を永遠に相続することを約束された人々が神と格闘する(イスラエルはイシャラー(勝つ者)+エル(神)=神に勝つ者)ことを示している。
神と格闘するとは、祈りを意味する。
契約の民とは、神に必死の祈りをして、神に願いを聞いていただく人である。ただし、ヤコブがそうであったように、彼らは、神に勝つけれども、腿の番(つがい)をはずされる。股関節脱臼である。
つまり、本当は負けたのである。しかし、神はそのような必死の祈りを求めておられ、それに答えられる。
相撲の風習は、シルクロード沿いに点々とある。つまり、契約の民が移動した後に残っている。
イスラエルの契約の民は、おそらく騎馬民族と混血して、シルクロードを東進し、その滞在した土地土地で相撲を取ったのだろう。
最後の目的地である日本において、契約の民は、正式な神事として代々伝えてきた。
だから、相撲を汚す者はのろわれる。近年相撲を普通のスポーツのように扱う傾向があるが、あれは神聖な儀式であって、世俗化してはならない。
日本人が、キリストを頭とする契約の民であるということを本当に自覚したときに、日本は復活する。
つまり、蘇民将来である。
最近イエス様を信じるようになったM氏は伊勢の方だが、伊勢では、家の門口に「蘇民将来の子孫なり」との札を下げるという。
これは、M氏のお母様の家に飾ってある御札である。
http://www.millnm.net/qanda3/Image473.jpg
今、伊勢からこの動きが始まっている。M氏とその友人Y氏は、初穂だと思う。
まさに日本の復活が始まったということだろう。
日本人が契約の民として世界を主導することは神の御心なのだと思う。そういうように選ばれた民族なのだと思う。
だから、日本人には、一日も早く自分たちが何者であるか理解してほしい。
2009年12月2日
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