悪口を言う前に本人に悔い改めを求めるべきだ


私が、北海道で人に迷惑をかけたなどという噂が流れているが、どこで誰に迷惑をかけたか聞きたいものだ。

私と接触したことのある北海道のクリスチャンと言えば、私の父が長老をしている教会の人々だが、その教会員に迷惑をかけたことなど一度もない。

そもそももう何年も訪問していないから迷惑のかけようもない。なんならその教会の牧師に聞いてもらってもかまわないから、訴える人はメールをよこして欲しい。

かつてここの会員で北海道の人が何人かいたが、迷惑になるようなことはしたことはない。もしその人が迷惑に感じているならば、私のところになぜ迷惑に感じたか言ってほしい。

私が何かその人に罪を犯しただろうか。私は正式に悔い改めを要求されるようなことをしたことがあるだろうか。

私は、これまでセオノミーを信じたということで教会の裁判を受けただけで、非行や迷惑のために誰かから訴えられたことは一度もない。

私と接触した牧師や伝道者、私に負債のあるあの独立伝道者(正確に言えば仕事の代金を払ってくれない)がどこかで私を責めているとでも言うのだろうか。

もし訴えるならば、どこかで噂になるように陰口を叩くのではなく、直接に私に訴えて悔い改めを求めるべきではないだろうか。

私は悪ければ悪いと謝る。もし金銭的な損害を与えたのであれば、弁償する。

クリスチャンの間では陰口を叩くのではなく、きちんと聖書的な手順に従って謝罪を求めるべきだ。

私が異端の教えを吹聴しているとでも言うのか。

ならば、どこが異端か教えて欲しいものだ。

携帯から無記名のメールで偽善者呼ばわりする人がいるが、もし私を偽善者と呼ぶならば、堂々と記名入りで訴えるべきだろう。

無記名で偽善者呼ばわりする自分が偽善者だと思うが。

はっきり言うが、神の御言葉の奉仕に携わっている人間について悪評を立てることがどれだけ大きな報いを受けるか考えて欲しい。

自分の身をかわいいと思うならば、身に裁きを招くことはしないことだ。

 

 

2007年8月16日

 

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