日本人は日本がキリスト教国であることを認めよ2
<S様>
独立党などノンクリスチャンの働きの中にも神が働かれておら
れるのも、日本のプレ・ミレクリスチャンが余りにも情けない
状態にある事の現れなのでしょう。
多くの日本人には西洋化されたプレ・ミレがまがい物だという
事が直感的に分かるのでしょう。
もともとのセム語族の物がストレートに入って来たら、皇祖天
照大神こそイエス様だと知れ渡る日が来たら。
個人レベルではなく国家レベルでの悔い改めが起こるでしょう
。
<tomi>
まさにそのとおりです。
日本は、ユダヤ系(セム系)キリスト教徒が築き上げた国でした。
そのため、ヨーロッパやアメリカのヤペテ系キリスト教は異物として認識された。
体内に入った異物は、しばらくとどまるが、いずれ拒絶反応が起きる。それと同じように、一般の日本人にとって、ヤペテ系キリスト教徒は、異物に見えた。
今日、教会に集っている人々を、彼らは奇異の目で見てきた。
どうして日本にキリスト教が根付かなかったのか?
それは、日本人の心に深く根ざしているセム系キリスト教、つまり、本流が、亜流であるヤペテ系キリスト教を尊敬できなかったからです。
実は、日本のほうが元祖であり、本家だった。本家本元から見れば、分家は劣って見える。
いくらアメリカ人が来て伝道しても、韓国の伝道師が来ても、どうしても日本の文化よりも「薄っぺらい」と感じてしまう。
そりゃそうです。
神道の神社の構造を見てください。
社から、水が流れている。それも、裂けた岩から水が流れている。
このエデンの園や出エジプトと同じ象徴表現が、アメリカのキリスト教にありますか?韓国のキリスト教にありますか?ヨーロッパのキリスト教にありますか?
ヤペテ系のキリスト教は、観念、哲学なのです。
象徴表現がない。
神社の注連縄と紙垂を見てください。雲の間から雷が落ちる様を表現している。
これは、御神域の境界を形成する。まさにホレブの山において雷雲と雷によって神が御神域を形成され、イスラエルに近づくことを禁止されたことを示している。
この聖なる山は、いわば至聖所であり、イスラエルは履物を脱がねばならなかった。祭司は、至聖所に入るときに、靴を脱いだ。
聖なる場所に入るときに、履物を脱ぐという習慣は、日本人の生活に深く根ざしている。
家の門と玄関は結界であり、家の中は御神域である。だから、日本人は靴を脱ぐ。
セム系宗教に起源を持つ習慣が日本の中には、無数に存在する。
だから、このように暮らしの中で聖書の世界を実践している我々が、観念だけのヤペテ系キリスト教に惹かれるわけがない。
私たち日本人クリスチャンには、新しい課題がある。
それは、セム系キリスト教の復活です。
我々の先祖が信じ、生活の中で実践し、子孫に伝えてきた聖書的習慣を尊重し、それに基づくキリスト教を回復しなければならない。
それ以外に、日本人が回復することはありえない。
ヤペテ系キリスト教に同化させるいままでのやり方では、いつまでたっても日本人にとって福音は異物のままにとどまる。
これは非常に大きなパラダイムシフトであり、キリスト教のイメージを根底から覆すものです。
多くのクリスチャンは、当惑するでしょう。
バッハなどの西洋の教会音楽を権威としてきた人々は、パイプオルガンを使わない礼拝を異端とみなすかもしれない。
しかし、真に聖書的なキリスト教を模索することこそが、真の礼拝なのです。
日本人の民族的リバイバルは、これ以外の方法ではありえないと思います。
2008年11月21日
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