10000発の核を製造できる能力2
都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。
東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。
また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。
また、私と話していた者は都とその門とその城壁とを測る金の測りざおを持っていた。
都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。
諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。
都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。
こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。
しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。(黙示録21・12-15, 23-27)
核による抵抗権の聖書的根拠は、黙示録の新エルサレムだ。
新エルサレムの城壁の高さは60mだった。
つまり、敵の侵入に十分に対抗できるという意味だ。
新天新地がやってきたら、防衛する必要はないなどという考えは聖書のいかなる部分からも引き出せない。
御国と呼ばれる都市は、城壁都市だった。
そして、選ばれた者しか入れない。
敵の侵入を防ぐだけの高さがなければそれは城壁ではない。
現在、核兵器がなければ抑止力とはいえない。
わが国は、米国の核の傘の下にいるから攻撃をまぬかれてきた。
今回、米国のジャーナリストが述べたように、「米国は中国との核戦争に巻き込まれる愚かな選択はしない」だろう。
ということは、核の傘などというものは幻想だったということだ。
いざというときになると使えない。
ならば、自国で製造するしかないではないか。
中国は、核を保有しているから攻めてくるのだ。
ロシアも、北方領土を返還しないのは、核攻撃されないと分かっているからだ。
考えてみてほしい。
「核なんてそんな野蛮な!私は人殺しをしたくない!」といくら叫んでも、無抵抗で侵略された場合、自国民を殺害することになるのだ。
絶対平和主義者がプラカードをもって中国軍に向かって「侵略しないでください!」と叫んでも、戦車に踏み潰されるだけだ。
この悪の世界において、核を持たないでも我々は人を殺すことに加担することになる。
よく考えよう。
2010年10月3日
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