以前の掲示で旧約の秦氏と新約の秦氏がいると述べた。
旧約の秦氏とは、紀元前3世紀に徐福とともにやってきた人々の子孫であり、物部氏である。
新約の秦氏とは、4世紀ごろに朝鮮半島を経由して、キリスト教国である弓月国からやってきた人々の子孫である。
これら2種類の秦氏は互いに特別な関係にあった。
飛鳥昭雄氏は次のように言われる。
一方、記紀には、神武東征の頃、既に奈良にニギハヤヒという王がいて、神武天皇と同じ「璽」を持っていたとある。つまりは同族。これは互いに「三種の神器」の不足分ずつを印として持っていたことを意味し、八咫烏がその仲介をしたとある。
http://askado.web.infoseek.co.jp/column/roman/kako/kodai_02.html
(1) ニギハヤヒは物部氏である。天皇家とニギハヤヒが同じ「璽」を持っていたということは、物部氏と天皇家とは同じユダヤであるということを意味する。
八咫烏は、天皇を先導したというから、物部氏は、イエスに道を備えるバプテスマのヨハネの役割を果たしたと言えるだろう。おそらく、物部氏は、予期せぬ侵略者としてではなく、予定されていた王として天皇を迎えたのではないか。
「互いに『三種の神器』の不足分ずつを印として持っていた」ということから察すると、ユダヤ人はかなり以前に、おそらくバビロン捕囚から解放されたときに、東に行くグループと西のパレスチナに戻るグループに分かれ、互いに兄弟であることを示す印として三種の神器の不足分ずつを持って別れたのではないだろうか。「いつの日か再会しよう」との約束を胸に。
(2) そのあたりの事情は聖書に垣間見れる。イエスは「囲いに属さない羊をも導かねばならない」と離散ユダヤ人を心配しておられる。
当時のユダヤ人には、バビロン捕囚以降離れ離れになった兄弟がいるとの認識があった。
日本は、バビロン捕囚のユダヤ人にとってパラダイスであったろう。東に向かった人々は、まとまって日本に入った。その後、中国経由で徐福の一団が入った。彼らにとって日本は、不老不死の薬草が生える地、理想郷であった。
彼らは、新約時代になってパレスチナから渡ってくる兄弟を待ち構えていた。
新約の信仰、つまり、キリストの十字架による贖いの信仰を持つユダヤ人のグループの到来を待っていた。
4世紀に弓月国から秦氏の一団が来た。彼らは秦氏を喜んで出迎えた。
(3) 日本は、離れ離れになった兄弟の再会の地であったのではないだろうか。それは、陰と陽の合体を主要なモチーフにした秦氏の思想に受け継がれたのかもしれない。
飛鳥氏によると、門松や、漢字の草冠など多くのものがこの「新約と旧約の合体」を表現しているという。
日本という国の基本構造は、このように贖いを受けた2つのグループが、パラダイスで再会するということなのだろう。
だから、陰陽、天地、表裏、新旧、紅白、男女、結婚(聖書において結婚とは、一つの実体が二者に分かれ、再会し合体することを意味する)など契約的象徴が多く見られるのだろう。