日本を復活させたいなら、まず世界を学ぶことである
日本を中共から守り、アメリカの愚民化政策から守れという日本の知識人の主張は、決定的に弱い。
なぜか。
基準がないから。
たしかに、日本の伝統を守れ、というのはよい。
しかし、反米、反中国をいくら唱えても、その日本が守るべき伝統というものの正体がきわめてあいまいである。
日本の伝統とは何か。靖国神社とはなにか。
きわめて茫漠として、とらえどころがない。
だから、いまいち日本人に訴える力がないのだ。
しかも、キリスト教について無理解、無知であるにもかかわらず、キリスト教を学ぼうとせずに、印象だけで一蹴する。
「キリスト教は、自然を支配しようとする攻撃的な宗教である」とか。
こういったキリスト教に対する無知を抱えたままで、「日本の伝統を!」なんて叫んでも、世界の人々の心どころか、日本人の魂をも獲得できない。
もし本当に日本の精神的な回復をするならば、キリスト教をきちんとおさえなければだめだ。
ヨーロッパ文明はキリスト教を中心に発展してきた。そして、ヨーロッパ文明が日本文明よりも優越していたことは、明々白々の事実であり、それを無視しては単なる自己満足のカルトになってしまう。
一般の日本人が期待しているのは、世界レベルの教養を身につけて、国際的な視野に立ちつつも、日本の独自文化を尊び、日本人を本当に守り、豊かに発展させられるような指導者である。
復古主義、国粋主義の枠から出られなければ、いくら運動をやっても次第に尻すぼみになるだけだ。
キリスト教は、彼らが想像もできないくらい深い。
そして、広い。
残念ながら、こういったキリスト教を紹介してくれる人間はこれまで日本人の中にはいなかった。
まず学ぶことである。それからだ。話ができるのは。
2008年3月14日
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