死刑制度廃止は奴隷制への一里塚


死刑制度を廃棄することは、奴隷制度の始まりだ。

なぜならば、法を守る市民が自分を守る手段を失うからだ。

殺人者に死刑が適用されることによって、市民は自分に対して故もなく攻撃し殺害する者に対して国家が復讐してくれ、同等の報いを与えることを期待できる。

これは、安全保障である。

しかし、死刑が適用されないとなると、自分が殺されないためには、武器を携行して、相手を殺害する手立てを講じなければならなくなる。

しかし、国家がこの手立てすら禁じるならば、やられっぱなしになる。

市民は圧倒的に不利な立場に立たされる。

国は市民の生命と財産を守り、市民が安全に自由に生活することができるように保障しなければならない。

そのためにわれわれは税金を払っている。

なのに、その義務を果たさなければ、われわれは納税を拒否できる。

納税を強制し、しかも、死刑を適用しないとなれば、それは市民を奴隷としてしか見ていないことを意味する。

刑罰は犯罪に応じて厳しくすることを求めるのは、市民の権利である。

だから、殺人に対しては、死刑を適用せよ。

死刑制度廃止は、奴隷制への一里塚だ。

 

 

2011年1月11日

 

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