サタンは、我々をコントロールしようとしている。
借金は支配の手段である。
だから、律法において、我々が契約を守れば、我々は貸す側に回り、借りる側には回らない、と約束されているのだ。
あなたの神、主は、あなたに約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。またあなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない。(申命記15・6)
経済的な支配は、実質的な支配である。
どんなに武士が商人よりも身分が上であっても、商人から金を借りれば実質的に商人のほうが支配者になった。
歴史において、社会の体制の変化は、経済力をつけた階級によるそうではない階級に対する下克上であった。
クリスチャンがノンクリスチャンから金を借りてはならないのは、ノンクリスチャンが我々を支配することになるからだ。
借金をしている間、我々は彼ら、そして、その背後にいるサタンの意のままである。
牧師になる人間の資質として、「金銭に無欲である」ことが上げられている。(1テモテ3・3)
金銭に対して執着があれば、神の仕事よりも経済を優先するようになる。
事実、献金者に対して顔向けするために、思い切ったことが言えない牧師が多い。
牧師とか伝道者は、ただひたすら神の言葉をまっすぐに取り次ぐために召されているのだから、もし金が欲しいならやめるべきだ。
神から示されたことを言うと追い出されるから何も言わないようにしようと心に決めたのであれば、仕事を変えるべきだ。
そういう人は、商売をしなさい。
まだ借金の持つ霊的な意味を理解していなかった頃、いろいろ奇妙な現象に当惑した。
資金繰りに苦しんだとき、ノンクリスチャンの知人から1週間の約束で借りたことがある。
突然悪魔のような声に変わった。
「あのね、この金は僕の金ではなく、非常に取り立ての厳しい人間から借りた金で、遅れるととんでもないことをされるのですよ。私は彼には苦労しているんです。それでね、あなたの名前で携帯の契約をしてほしい。・・・」
いつもは温厚な人が、こんなことを言い出したのでびっくりした。
ああ、だめだ。悪魔が入っている、と思ってすぐに返した。
後日、彼は女性のトラブルに巻き込まれて警察沙汰になった。
その時に「伝道者(私のこと)を困らせるとろくなことがない」と私の友人に漏らしたそうだ。
金貸しにサタンが入りやすいのは、支配できるからである。
我々に金を貸すことによって、我々の活動をコントロールできるとサタンは考えているのだ。
だれに対しても、何の借りもあってはいけません。(ローマ13・8)