神の国とは?
<OJ様>
またまた初歩的な質問で恐縮ですが;
「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」(マタイ12:28)イエス様がこれをおっしゃった時、現実に悪霊追い出しをされているわけですが、ここでの「神の国」は何を指すのでしょうか。
<tomi>
神の国とは、イエス・キリストによる支配です。
悪霊から解放され、悪魔の支配から、神の支配の中に入ることが、神の国への入国であり、その到来です。
ですから、この地上において、神の国は、イエス・キリストを信じて心を神のほうに向け、サタンのために生きる生き方から神のために生きる生き方に変わる個人が増えるときに、徐々に拡大しているのです。
そのような個人がかなりの数になるときに、その民族、国の文化全体が変わっていきます。
そのようにして、世界は徐々にキリストの弟子となっていきます。
歴史の終わりには、クリスチャンの数が圧倒的になり、世界のすべての民族、国がクリスチャンになります。
<OJ様>
また、
「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」(ローマ14:17)ここでパウロが言及している「神の国」は何を示唆しているのでしょうか?
お忙しいところ恐縮ですが、宜しく御教示下さい。
<tomi>
これも同じように、イエス・キリストの支配する領域という意味です。
この世界にあるすべてのものは、イエス・キリストの十字架による清めによって清められています。
「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」(コロサイ1・20)
すべてのものは聖なるものです。
しかし、それを汚れていると思っている人にとってそれは汚れている(ローマ14・14)。
旧約聖書の時代には、ものそのものに清濁がありました。
しかし、すべてが清められた十字架後は、心の持ち方であるものが聖くなり、あるものが汚れるのです。
信仰によらずに行うすべての行為は汚れており、それは罪です。
他のクリスチャンが汚れていると思っているものを「すべては聖いのだから…」と言いながら行うならば、それはそのクリスチャンにつまづきを与える、信仰から出ていない行為なので、汚れています。
神の国は、「あれを食べていいのか、食べて悪いのか、…」という飲み食いのことが中心ではありません。それは、本質の現れであり、本質は別のところにあります。
本質とは、「義と平和と聖霊による喜び」です。本質的ではないことによって、本質が壊されるならば、本末転倒です。
もし自分が自由だと考えていることが、他のクリスチャンにつまづきとなっているならば、それは「義と平和と聖霊による喜び」を破壊することになってしまうので、それをやめるべきです。
常に本質を重視し、瑣末な事柄を本質のために犠牲にすることが、神の国の進展にとって重要です。
2005年5月26日
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