憲法第9条は悪法である
憲法第9条は悪法である。
独立国が戦争を放棄してどうするんだ。国が家を建てる人々に対して、「鍵を設置してはならない」と命令するようなものだ。
人間でも、家庭でも、国家でも、防衛は「基本的な権利」である。
自然を見れば分かるように、この世界は「敵に囲まれている世界」である。
イエスは弟子たちに「あなたがたを送り出すのは、狼の中に羊を送りこむようなものだ」と言われた。
個人は、この敵に囲まれた世界において、自分の身体的安全、名誉、財産などを守る権利がある。
第9条は、国際社会への信頼に基づいているが、こんなもの信じられるわけがないじゃないか。
「人間への信頼」は、ヒューマニズムの性善説に基づいている。
聖書が教えているのは、人間はもともと善に創造されたが、その後堕落した、ということである。
だから、「性善説」でも「性悪説」でもない。「堕落説」である。
人間は信用できない。人間は、容易に堕落する。人間にも善性があることはあるが、それを信用しては国の法律は作れない。
憲法第9条という空想の産物があるおかげで、日本人は戦後60年「違憲」行為を犯さずには国を守れなかった。
違憲が常態化するということは、この国においては「立憲主義」が崩壊しているということを意味している。
だから、小泉さんが、靖国参拝しても、それに対して違憲訴訟が起こっても、裁判所が「違憲」に慣れっこになっているから、ちゃんと裁くことができないのだ。
「文字へのこだわり」は、法治国家の基本である。法律の条文の文句にこだわらなければ、裁判官の恣意によって判決が曲げられ、人権が侵される。
実行が無理だと分かったら、まず、文字を変えろ。
まず、法律をいじってからだ。
こういった手続きを取らないと、なし崩し的に憲法も法律も空文化するだろう。
こういった「文字にこだわらない」伝統を作った元凶は、憲法第9条である。
まずこの悪法を廃止に導くべきである。
2005年5月29日
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