性行為すらも契約的に見るべきだ
契約的に言うと、家は、神の臨在の場である。聖霊の住まう場所である。
出エジプトの際に、イスラエルの家の門には、血が塗られた。
血が門に塗られることと、幕屋に入る際に入り口で動物をほふったのと関係がある。
どちらも、契約の中に入ることを象徴するからだ。
まず血を流してからでなければ、神との交わりに入ることができないということを象徴している。
我々は罪人なので、ありのままの姿では聖所に入れない。
犠牲が必要だ。
祭司を通じて、契約の民は、聖所、そして至聖所に入った。
我々はクリスチャンの家を、幕屋、神殿、ノアの箱舟、エデンの園と理解すべきだ。
だから異端思想を家に入れることはできない。
異端思想によって我々の家は汚れる。
ヒューマニストの背後にいるサタンは、ヒューマニズム学校教育を通じて、我々の家の中に異なる教えを入れ、宮を汚し、契約を破壊しようとしている。
クリスチャンとノンクリスチャンの境目を消し去ることによって、契約的秩序を破壊し、我々をノンクリスチャン化し、世界をサタン化しようとしている。
人間の体も聖所である。
聖書では、我々の体は聖霊の宮と言われている。
体自体が聖霊の家なのである。
割礼を受けた者がなぜ血の花婿と呼ばれているか。
そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」(出エジプト記4・25)
2008年8月24日
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