私有財産への罪悪感はどこから来るのか?


よく「本田宗一郎はえらかった。息子に会社を継がせなかったから」という言葉を聞く。

しかし、創業者が息子に会社を継がせることがどうして悪いのだろうか。たしかに会社は公器である。とくに上場している場合は、多くの人から出資を募るわけだから、社会的性格は強くなる。

しかし、自分が苦労して築きあげ、大きくした会社を赤の他人に渡すよりも自分の子供に渡すほうがよいと考えるのは当然ではないか。

今の日本人の常識は、共産主義に強く影響されている。共産主義は、私有財産を認めず、すべてを国家に所属させようとする。

公共が私有よりも価値があるという教えである。

しかし、聖書ではそうではない。すべては神のものである。しかし、神の権威のもとで、個人は自由に財産を所有でき、その所有物には社会的保護が加えられるべきだという。

聖書の中に、褒美として物質的な報いが与えられる箇所がたくさんある。

私有財産に対する罪悪感は、共産主義的学校教育のせいである。

もし我々に、私有財産に対する後ろめたい思いがあるならば、学校でそのように洗脳されたからだ。

私有財産の尊重の精神がなければ、文明は絶対に発達しない。

いつ誰に奪われるかわからないシステムで、我々はやる気を奪われる。

戦後これだけ頑張ってきた日本人の財産が、ごっそり奪われてきたし、これからも奪われるだろう。

奪う側から見れば、奪われる側に「私有財産への罪悪感」があれば都合がよいわけだ。

我々は小さいころから心理操作されてきたことに気づくべきだ。

 

 

2008年3月16日

 

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