この世は変わらない?


「預言者は故郷では敬われない」とあるように、私の親族は、ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレである。

「クリスチャンが世を変えようとしても無駄だ。そんなのは共産主義だ。」という。

そのような人々に、私ははっきりと言う。

歴史を見れば、近代西洋文明の大部分はキリスト教から起きたことは明らかだ。

立憲政治は、カルヴァンのジュネーブでの改革において生まれた。

議会制民主主義は、カルヴァン主義のピューリタンによる。

近代科学は、カルヴァン主義者フランシス・ベーコンの経験科学の原理から生まれた。

ディスペンセーショナリズムは、世界の歴史を誤解している。

彼らは、現状を見て、すべてを判断するという誤りを犯している。

もしディスペンセーショナリズムが言うように、クリスチャンが世に働きかけても無駄であるということが本当ならば、

「地を従えよ」との命令は一体何か?

「御心が天で行われるように、地上でも行われるように祈れ」とのイエスの命令は何か?

この言葉を述べられたイエスが、「地上で御心を実現しようとしても無駄だ」と言われるだろうか。

「すべての国民を弟子としなさい。」と言ったイエスが、「でも、それは無理だからあきらめなさい」とでも言われるだろうか。

ディスペンセーショナリストは、どうしてこのような矛盾に気づかないのだろうか。

 

 

2007年8月5日

 

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