争いを焚きつける霊
家にずっといて仕事をしないと、霊的な攻撃を受けやすくなる。
気持ちを自分に向けつづけると、自分の過去、トラウマ、誰かへの恨み、・・・こういった悪い感情に支配されるようになる。
人間は気持ちを仕事に向けることによって正常になるように作られている。
自分の内側の問題を解決するために自分といつまでも向き合っていると、悪霊は次々と悪い感情を引き出すようにいろいろな心理操作をするので、かえって問題が深まるのである。
ヒステリックになって周囲に迷惑をかけ、怒りが収まらないというような症状があれば、十中八九、悪霊の憑依と思われる。
喧嘩において、相手に対して合理性を求めるのは馬鹿のやることである。なぜならば、相手に合理性を求めるように、次々と悪霊が新たな不合理に目を向けさせて、際限がなくなるからである。
「悪いのはおまえだ!なぜならば、・・・」
感情的になっているとこの「・・・」の部分をどうしても解決したくなるのだが、この部分を解決しても、次から次へと相手の非が目につくようになるので、絶対に事態は収拾しない。
聖書は際限のない合理性の追求を奨励していない。
「ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」(1テモテ2・8)
議論をやめて、手を上げて祈ることである。そして、合理性の追求をやめることである。
これによって、悪霊は争いを発展させる機会を失う。
他人を非難することに慣れ、よく家庭内などで争いを起こす人には、心の中に悪霊が憑依できる場所が出来上がっていることが多い。
そういう人の顔は、怒りとともに即座に変わる。何か別のものが降りてきたようなそんな顔つきになる。
怒りや争いの習慣、サディズムの傾向のある人は、その争いや暴力の行為を繰り返しているうちに、悪霊の巣はどんどん巨大化して、霊の支配を受けるスピードがどんどん速くなる。
逆もまた真であり、よく祈り、罪に支配されていない人は、神の霊に支配されるスピードが人よりも速い。
霊的に普段から整えられていないと、祈っても祈っても満たしがない。
普段からよく祈っている人は、一言二言でさっと聖霊に満たされる。
献身者は、神学校に入ったと同時に強烈な霊的攻撃を受けることが多い。
自分の弱い部分に猛烈な攻撃を仕掛けられる。
なぜならば、彼(または彼女)の弱い部分を拡大して、罪に支配されやすくすれば、聖霊が働かなくなり、御国は停滞するからである。
トップの霊性を破壊すれば、その下にいる信徒の霊性もダウンさせられる。だから、悪霊は、将来トップになる神学生の霊性を破壊しようと罪の習慣を拡大させようとしているのである。
献身者は、罪を悔い改め、悪い習慣を一日でも早く捨てられるように熱心に祈るべきである。神は超自然的な形でサタンから影響を受けている場所を除去してくださる。
暴れたり、暴言を吐いたり、度を越した行動を習慣的にするような人がいれば、人間的な解決法を探しても無駄である。争いと暴力を発展させようとしている霊の働きだから。
自分の注意を自分の内側や過去の体験、人への恨みなどに向けず、もっぱら自分の仕事や他のことに集中することによって、悪霊に隙を与えないことである。そして、イエス・キリストの御名によってよく祈り、強く解放を願うことである。
2006年6月9日
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