6日創造説を否定する人々へ


6日創造説を否定する聖書信仰のクリスチャンは、創世記1章の「こうして夕があり、朝があった。」という箇所をどう解釈するか教えてほしい。


神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。
・・・神は、その大空を天と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第二日。・・・

もし「日」が24時間の日でなかったとしたら、いったい「朝」と「夕」とは何か。

どうか頭を冷やして考えてほしい。

この箇所で、聖書は「日」を「朝」と「夕」があるものとして描いている。

つまり、聖書は、この「日」が我々が通常体験する朝と夕を区切りとして持つ一日を意味すると示しているのだ。

それとも「朝」と「夕」をそれ以外のものとどうやって解釈するのだろうか。

朝は、ヘブル語でboqerであり、旧約聖書に213回出てくるが、意味は「朝」か「翌朝」しかない。夕はerebhであるが、「夕方」か「夜」という意味しかない。

そして、me' erebh 'adh boqer「夕から朝まで」(出エジプト記27・11、レビ24・3、民数記9・21)のように、一日の朝と夕を表すのに使用され、「日以外の期間の区切り」を示した箇所は一箇所もない。Theological dictionary of the Old Testament(G. Johannes Botterweck, Helmer Ringgren, H. J. Fabry, Edition: revised, Wm. B. Eerdmans Publishing, 1975)

聖書では、朝と夕が文字通り24時間で一日を区別する意味しか持たないのであれば、どうしてそれを何十億年、何百億年の区切りと解釈することが可能なのだろうか。

非6日創造説は、現代科学の学説に影響されて聖書に読み込みを行った結果生まれた間違った教えである。

 

 

2009年3月15日

 

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