最近流行の都市伝説。
ジパング上陸作戦という名前の漫才コンビのオーストラリア人チャドによると、
家康の時代、オランダは先住民からニューヨークを買い取って街づくりを行うところだった。
家康はオランダのウィリアム・アダムズという人と知り合いで、日本に
すごいやつがいると聞いたオランダはニューヨークの街づくりを任せる
ことになった。
家康は自ら行くわけにはいかないので、替わりに大阪の旗本を送り込んだ。
その旗本は自分の気に入っている故郷の大阪に似せてニューヨークの基盤を作ったという。
その子孫も代々ニューヨークの街づくりを(今でも!?)陰で動かして
いるという(ニューヨークと大阪を)。
なぜそんなことが言えるかというと、2つの町には共通点があるから。
まず両方とも2つの大きな川に挟まれている。その他にも、全ての町が
東西南北になっており、大阪は縦の道が「筋」で横の道が「通り」になっているが、ニューヨークも「ストリート」と「アベニュー」になっている。
・・・
実は家康が送り込んだ旗本の名前は「秦」さんだった。大阪の人だから
昔から「はったん」と呼ばれていた。
ニューヨークを作った偉大なる男から名づけられたのが「マンハッタン」というわけだ。
http://blog.geinoushop.com/archives/cat_50006540.html
面白い話だが、インターネットで裏づけが取れなかった。
一般に「マンハッタン」の語源は、インディアンのレナペ語で「多くの丘の島」という意味の「マンハッタン」から来ていると言われている。
ただし、1609年ヘンリー・ハドソン・ヨット・ハーヴ・メーンの役人ロバート・ジュエットの記録によると、マンハッタンは、もともと「マンナ・ハタ」(Manna-hata)であった。1610年の地図には、「マナハタ」(Manahata)との地名が2つ、マウリチウス河(ハドソン河)の両側に出てくる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Manhattan
マンナ(Manna)は、出エジプト記でイスラエル人を養った天からの食物「マナ」と同じつづりである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Manna
ハタ(Hata)は、秦氏のハタとも取れる。
京都を作った秦河勝は、川を中心に都市を作った。
これは、黙示録の新エルサレムを模したからだろう。
もしチャドの話が本当ならば、マンハッタンを作った秦氏も、同じ考えで作ったのだろう。
奇妙なことに、マンハッタンはユダヤ人の居住地区であり、「マンハッタン計画」とは、ユダヤ人が原爆開発したことにちなんで名づけられたという。
http://dateiwao.fc2web.com/gembakuhanzaisha.htm
ユダヤ人が最初に原爆を投下する都市を京都に設定したというのも奇妙だ。
原爆が、「イエスを十字架につけ、紀元70年に滅んだ離散ユダヤ人の子孫」による「紀元70年に救われたユダヤ人の子孫である日本人」に対する迫害という意味を持つからなのだろう。