真の社会改革を
このサイトは、ミッションスクールの聖書の先生や、教会の牧師先生などがご覧くださっているので、大変うれしい。
私のミニストリの目的の一つは、「川上戦略」だった。
つまり、人々に影響を及ぼす力のある社会的に地位の高い人々との思想の共有である。
キリスト教は、これまで川下戦略だった。
川上の部分では、とくに社会の一線で活躍する職業男性に対するアプローチがなかった。
彼らは、キリスト教的世界観や具体的な法的指針を与えられることがなかった。
私もラッシュドゥーニーと出会うまでは、具体的な社会適用を行っている教師は、内村鑑三や、矢内原忠雄、高橋三郎だけであった。
しかし、内村や高橋の場合、モーセ律法を扱わず、むしろ、無教会は内村以後、リベラルに傾くので、参考にはなかなかならない。
聖書に基づく社会適用は、完全に未知の分野だった。
だから、おそらく、私のホームページをご覧になるかたがたは、まったくこれまで聞いたことがないような知識が満載されていると思う。
私も最初ラッシュドゥーニーの聖書法綱要を読んでそのような印象を受けた。
これは強烈だった。
1980年代後半に大和で伝道しているころ、空いている時間にファミレスで、毎日10ページ読んだ。
神は、彼の解説をことごとく純粋な宝として私の目の前に提示してくださった。まさに私が飲みたかった水だった。
私がこれだけ感動するのだから、他の人々も同じだろうと思っていたら、まったく違った。
まだ早かった。世の中がまだそういう意識になっていなかった。
だから、異端のように思われた。
びっくりした。
これほど聖書的な教えはないのに、異端のように見られた。
まず、キリスト教と社会とを切り離す二元論的な考えに教会が汚染されていた。
これは、聖俗二元論というギリシア、ローマ・カトリックの信仰である。
プロテスタントがこういう異教的な思想に騙されてきた。
正しい聖書的な社会への取り組みが必要な時代だ。
しかも、マルクスやケインズなどの似非福祉ではなく、本当に困った人々を助ける真の福祉、真の社会事業が展開されなければならない。
神の導きがさらにあって、我々の目が開け、この働きに対する理解が深まり、力が集まるように。
ここにのみ、真の社会改革がある。これだけが希望だ。
2009年11月25日
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