ビザンチン本文によるヨハネ福音書1章27節2


この箇所は、ou oukの訳し方によって、以下の意味にもなる。(*)


彼は、私の後にやって来る方で、私の前に現れたお方である。私は彼の靴の紐を解く値もない。

このように解釈した場合、アレキサンドリア本文で省略された箇所は、「私の前に現れたお方である」ということになる。

この「前に現れる」は重要である。

なぜならば、ヨハネは、当時流行していたグノーシスの仮現説(霊は聖く、肉は穢れているという霊肉二元論に立ち、人間としてのキリストは見せかけのもので、あくまで霊的存在であったと考える)と戦っていたからだ。

この「私の前に現れた」という部分を除去することによって、仮現説の人々は、ヨハネの福音書のもっとも重要な主張を弱めることができる。

アレキサンドリア写本が、グノーシスの人々によって作られたと考える一つの証拠になるのではないかと思う。

(*)
http://www.millnm.net/qanda3/John1_27.htm

ou は否定小詞で、oukも同じ意味である。

ou ouk がひとつのまとまり「二重否定」として考えるべきか、それとも、ouが前のgegonenを否定し、oukが後ろのeimiを否定すると考えるべきか。

二重否定と解釈した場合、この箇所は、上記の意味になる。

 

2010年4月8日

 

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