いじめた人間は退学にしろ
学校がいじめの問題を解決したいなら、いじめた奴を退学にすることだ。
ルール違反者を追放しないと、その団体の秩序は乱れる。
「排除することは教育か?」などとほざくな。
排除することこそ教育なのだ。
いじめとはそれくらいの刑罰に値する行為だ。
いじめによって死ぬ人間もいるわけだから。
いじめる人間は、親がちゃんとしつけていないことが多い。
いじめによって退学処分になれば、親だって処罰されることになるから、親にとっても教育になる。
妙な平等主義によって、戦後の日本社会は、ルール違反者に甘くなってしまった。
ルールを守っても守らなくても同じ待遇がある社会において、ルールは無効化する。
ルールが無効化すれば、秩序は崩壊し、社会は消える。
だから、ルール違反者に対して厳しい処罰を下すということは、社会を維持するために絶対に必要なことだ。
このような当たり前のことが通らなくなってしまった。
クリスチャンの間においても、愛の意味をはきちがえている人間が増えた。
死刑は愛のない行為だというクリスチャンが多い。
人を殺めた人間の命を取らなければ、殺された人間よりも殺した人間のほうが尊重されているということになるのだ。
殺人者に死刑を課さない社会は、殺人者を養成している社会だ。
ルール違反者を処罰しないから、社会のいたるところに無法者がはびこることになる。
いじめた人間は退学にしろ。
人を殺めた人間を処刑せよ。
2006年11月10日
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