プレ・ミレと禁酒禁煙


日本キリスト神学校出身のある牧師先生から聞いた話なのですが、どうもこの神学校、アメリカの宣教団体(もしくは教会)から、「カルヴァン派に立つ神学校を建てろ」との命令があり、日本側が、「すでに神戸改革派神学校があります」と応えると、「神戸はア・ミレだからだめだ。プレ・ミレに立つ神学校を作れ。そして、酒タバコを禁止することを教えろ」との指令が出たそうです。

そのため、日本キリスト神学校は、プレ・ミレで、酒タバコは厳禁です。

ウェストミンスター神学校を建てたメイチェンは、ポスト・ミレで、酒タバコについては自由という立場で、この酒タバコに関して、あるグループがメイチェンから離反しました。

だから、日本キリスト神学校は、ウェストミンスターとは立場を異にしているといえます。

私は、どうも「プレ・ミレ、酒、タバコ」という3点セットにひっかかるのです。

プレ・ミレの霊的起源は、イルミナティでしょう。

ということは、酒タバコの禁止というのも、イルミナティが起源ではないか?

聖書は「食物を絶つことは悪霊の教えである」とはっきりと述べています。

この世界にあるあらゆるものは、神が作られたものであり、すべて良いのですから、ある特定の食品を「健康理由以外で」禁止することは、偶像礼拝です。

もちろん酒に関しては「酔うな」とありますので、酔っ払いを避けるという意味で自粛するのは正しいことですが、今のキリスト教は、それらを「宗教的規定」としてしまっている。

ここに私は非常に何か異質なものを感じる。

キリスト教を何か、聖書から引き離そうとする力を感じる。

それは、今の「嫌煙運動」にも感じる。

世の中の思潮として、環境保護、反捕鯨、反マグロ漁、地球温暖化、そして、嫌煙と、サタンから出たのではないかと感じるのです。

プレ・ミレは、一見すると、「キリストの来臨を待望する」ということでクリスチャンを励ますように見えます。しかし、実際のところは、キリスト教を弱体化させ、滅ぼすことを目的としている。

だから、酒タバコの宗教的禁止も、そういった隠れた意図があるのではないかと感じます。

どうもこういう立場を取ることによって、世間から乖離してしまう。

私は、酒タバコ禁止という環境の中で育ちましたので(福音派)、就職するときに非常に困りました。

世間一般が自分の世界とあまりにもかけ離れてしまった。

今、立場を変え、社会、そして、一般の世界に対してそういった距離感はありません。

しかし、当時、自分の持っている信仰の世界が、あまりにも世間から遊離していて、人々が何を考えているのかまったく分からなくなりました。

おそらく、これは、イルミナティによる「クリスチャンの囲い込み」のような意図があったのではないかと感じます。

つまり、プレ・ミレと同じように、「この世はお前たちとは関係ない。もはやタッチすべき場所ではない。世は滅びる。だから、改革しようなどと考えるな。お前たちはまったく違う人種なんだ」という刷り込みではないかと思います。

 

 

2010年8月10日

 

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