非6日創造論者へ6


よく非聖書信仰者が、我々のことを文字拘泥主義と言うが、

自分が信じている宗教の教典の文字にこだわらない信者とは一体何物なのか?

その人間は、自分の宗教の教典よりも自分の意見のほうが上だと自負している「偽信者」に違いない。

まじめな信者は、自分の考えよりも教典のほうがすぐれていると考えており、それゆえ、自分の考えと教典の教えとが異なっている場合には、自分の考えを捨てて、教典の教えを選択する。

教典の教えよりも自分の考えを選択する人間は、その教団においてアウトローにしかなれない。なぜならば、おおっぴらに自分の考えを公表すれば、異端者扱いされるからだ。

しかし、驚くべきことに、キリスト教ではここ100年の間、教典の教えよりも自分の考えを優先するような人間が、教団のトップの座に座ってきたのだ。

「聖書はそう書いてあるが、私はこう考える。なぜならば、科学的事実を見ればこう判断するのが適当だと思うからだ。」とほざく人間がキリスト教界を牛耳ってきた。

つまり、キリスト教界においては、アウトローがまともな人間を抑えて支配してきたということだ。ならず者が、大手を振って歩いてきたということだ。

さあ、我々はこれらのならず者をどうしたらよいだろう?

平気で教典をさげすむ人間をどうしたらよいだろう?

追い出せ!!!

追い出す以外にはない!!!

教典よりも自分の考えを優先する人間は、出ていって、自分の宗教を作りなさい。

けっしてキリスト教という名を名乗ってはならない。

すべての進化論者、リベラリスト、モダニスト、モダリスト、ディスペンセーショナリストは、教会を出て、自分の宗教を作りなさい。

キリスト教の名を語ってはならない。

あなたがたはキリスト教とは縁もゆかりもない人間だ。

「すべての分野について、もしくは、この分野に関しては、聖書は基準ではない」と述べる人間はすべて、人間理性至高論者=ヒューマニストである。

彼らは自分の主観によって聖書のページを切り取り、自分の手で書いた教えをそこに張りつける人間だ。

こういった不届き者を教会は即刻追い出せ。

 

 

2005年8月4日

 

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