職業は神の召しである
尾崎豊の息子が歌っているがそっくり。
http://dic.nicovideo.jp/v/sm6169669
このような声の出し方の微妙なところは、遺伝じゃないとでない。
世の中に歌のうまい人はたくさんいるが、お金を取れる人はごくわずか。
その差はどこにあるかというと「味」である。
そして、その味は、努力して身につくものではないと思う。
人の心を動かすものは、この言葉で表現できないセンスだから、歌手としてやっていけるかどうかはこのセンスを持っているかどうかで決めるべき。
もちろん人それぞれ味はある。プロになれるかなれないかは、それが「お金を払っても聞きたい味」であるかどうかの違い。
だから、プロになれるかなれないかは、偶然に左右されていると思う。たまたま「お金を払っても聞きたい味を持つ」人ならば、プロになれるし、それを持っていない人ならば、ただの歌のうまい人で終わる。
考え方を変えて神の視点から見れば、プロの歌手になれるかなれないかは、神が決定していると言える。
うまいからプロになれるのではなく、神から「おまえは一生これで人に奉仕しなさい」と言われたかどうか。
そういう人は、ほかの人と何かが違う。
大多数の人々は、社会を支えるために実業に就く。そして、家族を養う。人体で言えば、体を構成する骨や肉である。
しかし、歌手などのごく一部の人々にのみ与えられた職業につく人々は、普通の人生では満足できない。だから、結婚して家庭に収まることができにくい。
人体で言えば、目や鼻や口である。目や鼻や口が、他の普通の肉や骨の働き、つまり、人体を物理的に支える働きをやっていても満足できないように、これらの働きのために選ばれた人々は、見たり、嗅いだり、食べたりすることができないとフラストレーションがたまる。
全部召しなのだ。
どのように召されているのか。
その召しに応じて、その人が感じる欲求は違う。普通の仕事では飽き足らないならば、そういう芸能などの仕事に向いているかもしれない。
職業は、神から発する。
神には計画があり、神はその人それぞれに賜物を与え、それが生きるように出会いなどを与え、道を開かれる。
それぞれの賜物を持つ人々が自分の使命を忠実に果たすことによって、社会は神のために正しく機能するようになる。
2009年8月24日
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