秦氏と日本人
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有名なユダヤ研究者小辻節三の出自は秦氏であった。
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秦氏と皇室の間の深いつながりについて、米国ニュージャージー州モンマス大学教授アブラハム小辻(小辻節三)は、興味深いことを語った。自分は京都の出身で、先祖は京都の下鴨神社の設立以来の神主であり、小辻自身も神主になる予定だったと。下鴨神社は、秦氏のために8世紀に建てられた神社であり、小辻教授は自分も秦氏の出であると考えている。
昔、皇室は京都にあり、下鴨神社は皇室と深いつながりがあり、そこにおいて皇室関連の行事が一年に70以上も行われていた。これは、秦氏と皇室の密接な関係を示している。
小辻教授は、セム語とヘブライ語聖書の研究者であった。1939年に、松岡洋右(満鉄総裁)に請われて満鉄の顧問に就任。
小辻は秦氏がユダヤ人であると信じていた。後で日本に戻り、第二次大戦初期にナチス・ドイツから神戸に亡命するユダヤ人を助けた有名な人々の一人となった。
1959年にユダヤ教に改宗。エルサレムに行き、割礼を受け、アブラハムの名を授かる。1973年に鎌倉で没。遺言により、亡骸はイスラエルに葬られた。当時ヨム・キップール戦争の最中であり、イスラエルへの航空便はなかったが、ラビ・マービン・トケイヤー氏の計らいで、就航第一便で運ばれた。イスラエルの空港で、彼に助けられたユダヤ人亡命者たちに迎えられ、エルサレムに手厚く葬られた。
小辻は、聖書の宗教を「イスラエルの神道」もしくは「高等神道」と呼んだ。…
http://www.culdee.org/press/history/samurai.html
杉原の故郷である八百津町は古代ユダヤの隠れ里という噂があり、住民に古代セム族の特徴(丸い目、濃い髭)が残る。その隣の笠置山は古来の霊山であり、山域に無数のモアイ様巨石、それにペトログラフと称する古代人の刻印があり、その刻印にダビデの紋章が含まれている。神社は八坂神社か貴船神社で、中津川周辺には寺がほとんどなく住民の9割は神道で、神紋はすべてダビデの紋章だ。
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm
しかし、日本に上陸したユダヤ人達に思いがけない幸運が待ちうけていた。ユダヤ人の代表が、ユダヤ人に通じ、ユダヤ教の研究者であり信者である小辻節三をたずね、日本滞在延長への協力要請を持ち掛けた。小辻は、快く引き受け彼らと一緒に、何度も外務省へ足を運び懇願したのである。しかし、全く受け入れてもらえず、思案の末外務大臣松岡洋右に直訴する事にした。驚く事に、松岡が満鉄総裁をしていたとき、松岡自ら口説いて小辻を総裁室に所属させユダヤ研究をさせており、二人は旧知の間柄であった。さらに、満州では、松岡自身がユダヤ避難民の救出(オドポール事件が有名)にあたっていたのである。
「私は独・伊と同盟は結んだが、ユダヤ人を殺す約束まではしていない。」との松岡の言葉が残されている通り、松岡はユダヤ人に対して非常に好意的であった。これが効を奏して、小辻は松岡から「ある便法」を示唆された。千畝の発給した10日間の通過ビザを見ると、中央に楕円形のゴム印が押され、そこには「入国特許・福井県」の文字と「自昭和○年○月○日・至昭和○年○月○日」との日付があり、日数を確認すると、期間が一ヶ月になっている。つまり、「ある便法」によって10日間の通過ビザが、敦賀に上陸した時点で「入国特許」という形で一ヶ月に延長されているのである。
http://www.kcc.zaq.ne.jp/kids_clinic/coffee_sugihara.html
2004年4月16日
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