アメリカと資本主義陣営の社会主義化3
しかし、当時の国際取引の状況から考えると、諸外国のドル保有額は50年後と比べると少なかった。
インフレ初期に通常見られるように、ルーズベルトが作り出した小規模のインフレによって景気がわずかに好転した。失業率は15%に留まってはいたが。しかし、第1ニューディールと歴史家が呼ぶところのルーズベルトの2大政策は、製造業者や企業家を破滅に追い遣った。1935年に、合衆国最高裁は、「全国産業復興法」も「農業調整法」も違憲であると宣告した。しかし、その頃までにニューディーラーは、企業カルテルを是認する政策から、労働者の組合形成による労働カルテルを促進する政策へと方針転換していた。
1937年に合衆国最高裁が1935年の「公正労働基準法」の支持を決定すると、インフレ誘導による「好景気」はすぐに終息し、経済は「恐慌の最中に」不景気に突入した。これは米国経済においてはじめての出来事であった。失業率はほぼ20%に上昇した。しかし、ルーズベルトが没収した金は、経済の回復にまったく貢献せず、さらなる不景気への元凶となった。
1971年のドル崩壊
1944年のブレトン・ウッズ協定以降、通貨は互いに固定され、外国政府はドルを1オンス35ドルのレートで買うことができた。第二次世界大戦後約20年間、この体制は有効であると考えられていた。しかし、リンドン・ジョンソン大統領がその「偉大なる社会」理念に基づいて福祉政策を拡大し、また、ベトナム戦争への本格介入を決定した結果、歳出が増大し、それをまかなうために連邦準備制度が貨幣の供給量を劇的に拡大した。その結果、国内において貨幣の価値が低下しただけではなく、世界中にドルが溢れるようにもなった。
ドゴール大統領のフランス政府は、事態を見て、1933年の固定レートでドルを金と交換しはじめた。合衆国代表者たちは最初「問題はない」と言っていたが、1971年中ごろまでに、合衆国の金準備量は急激に減少し、リチャード・ニクソン大統領は、金との交換を停止し、賃金と価格の統制を開始した。その年に、価格統制は停止されたが、石油とガソリンの価格統制は、その後10年間続き、経済に未曾有の破局をもたらした。
結論
フランクリン・ルーズベルトの政策の特徴は、傲慢と詐欺である。不幸にも、彼の伝統は今も生き残っている。多くの歴史家と経済学者が「ルーズベルトの経済政策こそ『資本主義を救った』」と述べているが、実際は、財産の没収と、「インフレこそ繁栄の源である」という間違った考えに基づいていたのである。
今日、合衆国の金融制度は、インフレによって価値の落ちたドルによって宙に浮いた状態にある。現在の金の価格は1オンス650ドルであり、ドルの価格は他の国際的通貨に対して低下している。連邦準備制度のインフレ政策に対する唯一の規制は、政治的であり、大多数の政治家とアメリカ国民は、「ドルを新しく刷ることによってアメリカは繁栄する」と信じるようになった。
1932年にフランクリン・ルーズベルトが選挙運動において掲げた公約は「歳出削減と健全な貨幣」であった。しかし、彼以降、政府は無鉄砲な歳出と経済活動への無謀な干渉に走り、米国貨幣価格は徹底的に下落した。
今日にいたるまで、米国大統領は、みなニューディール政策を継承・拡大している。
歴史家は、1933年の金の没収を歴史における小さな出来事と見るかもしれないが、それは多くの点においてきわめて重要であり、他のニューディール諸政策をあわせたものよりも大きな意味があると考える。
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William L. Anderson, Ph.Dは、メリーランド州フロストバーグ州立大学で経済学を教えている。
2007年1月21日
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