行き過ぎた人権保護は社会秩序を破壊する
秋葉原の通り魔事件が起きたこの時期に宮崎勤の死刑執行がされたのは、まさに時宜にかなっている。
政府は明確に「殺人には厳罰をもって臨む」という姿勢を示した。
これこそ、国というシステムの存在理由である。
すなわち、国民の生命と財産の保全。
1000円の盗みに対して1000円の報いによって返し、傷害に対して傷害もしくはそれに匹敵する補償によって返し、殺人に対して死刑によって報いるのでなければ、国は犯罪者に肩入れしていると捉えられても文句は言えないだろう。
犯罪に対しては、被害者と犯罪者の間に生じた大きな穴を完全に埋める努力をしなければならない。
そのためには、刑罰の程度が被害の程度よりも小さくなるようなことがあってはならない。
殺人に対して死刑未満を課すようでは、穴は埋まらない。
聖書では、殺人をした牛に死刑を宣告しなければならなかった。
理性があるかどうか、心神耗弱であるかどうか、精神状態はどうか、そんなことで殺人の責任から逃れられるような法律は悪法である。
司法関係者の目は、遵法的市民である被害者に向けるべきで、犯罪者に向けるべきではない。
サルを保護するとサルは増える。犯罪者を保護すれば犯罪者は増える。
行き過ぎた人権保護は、社会秩序を破壊する。
2008年6月18日
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