ぜひ進化論はこのチャレンジに答えてもらいたい2
最近読んだ本の中で著者が「日本人は理に適ったことを、すぐには受け入れるそぶりは見せないが、知らないうちに直す能力がある。」と述べていた。
そして、「これが日本人の優れた点だ。そして、こういった能力は、自説を頑固に曲げない他の東アジアの民族との違いだ」とも。
さて、こと進化論に関する限り、この説は適用されないようだ。
いくら明々白々な矛盾を示されても、進化論者は譲らない。
それとも、譲る気持ちがあるが、恥ずかしいので自説を撤回しないのだろうか。
みんな見ている。
日本人は頭がいいから、どちらが勝つか察知する能力がある。
私が前の掲示で述べたことは、「進化論を決定的に葬り去る」議論だ。
今不思議と私の周りがこの問題(すでに10回以上提示した)について沈黙しているのは、おそらくそれが決定的な反論であることを察しているからだろう。
現代人にとって進化論は、いわば自分が依拠している土台であり、大地のようなものだ。
その大地が今まさに崩れかかっている。
それくらい重大な変化であるから、慎重になっているのかもしれない。
しかし、はっきり述べておく。
「進化論は崩壊する」
私が提示した問題は単なる「進化論への一つの反論」ではない。
今まで進化論者が解決のつかない問題として沈黙を決め込んでいた「痛いところ」「急所」なのだ。
生物には、「一挙に出現しない限り機能しない器官・システム」が無数に存在する。
そのシステムが複雑であればあるほど、そのシステムができあがるまでの過程を説明するための理屈が必要になる。
例えば、ある回路の化学反応を一つ一つ新聞に書いていくと、一面全部が埋まると聞いた。
さて、この無数のステップはどのようにして形成されたのか?
その回路は完成状態でしか生物の生存に寄与しない。
つまり、この回路は一挙に出現しない限り、その生物を自然淘汰の生き残りとはしないわけだ。
それでは、「一挙に」どうやって成立するのだろうか。
この複雑怪奇な生体内の化学反応のすべてはどうやって成立したのか?????
恐ろしいことだ。
進化論はまもなく死ぬ。
心臓を貫きとおされた進化論が起き上がるかどうか人々は見ている。
2008年6月23日
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