ロスチャイルドが霊的に目覚めるとき日本の本質が分かるだろう


<Q>
かねてからtomiさんがご指摘のように、ディスペンセーショナリズムはフリーメーソンが発明・普及させたもの。これは、一つにはクリスチャンが「ユダヤ人」「ユダヤ国家」を好意的に見るようにとの印象操作を狙ったものという見方ができると思います。事実、私自身、今のイスラエルがテロリスト国家だという認識にたどり着くのに途方もなく時間がかかりました。
一方、日本で日ユ同祖論を唱える人たちは判で捺したようにディスペンセーショナリズムの信奉者です(もちろん、tomiさんや私は例外の中に入りますが)。日ユ同祖論自体に罪はありませんが、日ユ同祖論はユダヤ側から日本に「手を突っ込む」ために謀略的に利用されていた歴史的事実があります。「ユダヤ人はわれわれの仲間であって、悪くない」というイメージを軍部やキリスト教に吹き込んで油断をさせる。つまり、日ユ同祖論もディスペンセーショナリズムと同じ役割を担わされているというわけです。tomiさんが、「宇野正美はディスペンセーショナリズムなので要注意」と言われた意味が少しわかってきたような気がします。

日本は日ユ同祖論を巧みに利用しようとするユダヤのたくらみを戦前から察知していたようですね。ユダヤ側の狙いを見抜いて警戒していたことがわかります。戦時中にホーリネスがとりわけ厳しく弾圧されたのはこの問題が背景にあったからだという見方は正しいでしょうか? それとも、表向きに言われているように再臨信仰の強調が危険視されたに過ぎないのでしょうか?

<tomi>
ホーリネスは、中田重治が日猶同祖論者でしたので、弾圧があったのは、おそらく天皇を神とする国家神道側の働きではないかと思います。

信者たちは「天皇とキリストとどちらが上か」と憲兵に拷問されたと聞きます。

問題が複雑なのは、ディスペンセーショナリズムも日猶同祖論も、一部正しい点があるということです。
それは、(1)地上千年王国と(2)イスラエルの回復の教理です。

(1)
無千年王国論では、地上千年王国はないということになりますので、キリスト教は現実性という意味で無内容なものとなります。
聖書は、千年王国はキリストの復活・昇天以来地上に到来したと教えています。

ディスペンセーショナリズムは、「それは、将来到来する、再建されたイスラエルを通じて」と教えるため、イルミナティのシオニズムを助ける働きをしています。

(2)
イスラエルの回復については、聖書(ローマ11章)が明確に主張しており、それを否定することは絶対に不可能です。
ユダヤ人は、アブラハムにおいて神に選ばれており、たとえ捨てられても一時的なものであって、「アブラハム契約のゆえに」今も選民の地位を持ち続けています。
聖書において、選民とは「アブラハム契約に入ったユダヤ人と異邦人」の意味であり、一度神の選びによって救われた人が滅びることは絶対にないのですから、必ず回復があるとしなければなりません。

ですから、ロスチャイルドが、イスラエルに民を帰還させ、イスラエル国が回復しつつあるという事態そのものに問題はないのです。

問題は、ロスチャイルドが、「契約の民」の条件であるところの「契約的方法=倫理」を取ることをやめて、「武力と陰謀」でそれを達成しようとしているところにあります。

ある人々は、「ロスチャイルドはアシュケナジーのユダヤ人で本物のユダヤ人ではないから」という説を唱えていますが、そうではありません。

イエスを十字架につけたのは、スファラディのユダヤ人(バビロン捕囚から帰還したベニヤミン・ユダ・レビ族はスファラディのユダヤ人)であり、問題は血ではないのです。

問題は、当時のユダヤ人に入った悪魔的な教え、つまり、「武力によって達成されるユダヤ民族による世界征服」にあります。

イエスを十字架につけた人々は、「メシアならば、ローマ帝国からの支配からユダヤ人を解放させ、武力によって世界征服を達成させてくれるに違いない」と考えていました。だから、「神の子ならば、十字架から降りてこい」と叫んだ。

彼らは力を信じて、契約を信じていませんでした。

これを「武力革命論者のユダヤ人」と呼ぶと、イエスの弟子たちを除いて、当時のユダヤは「武力革命論者のユダヤ人」によって占領されていた。

イエスは、「右の頬をぶたれたら、左を向けよ」といわれたのは、「ローマ兵に右の頬をぶたれたら、殴り返してやれ」とする当時の「武力革命論者のユダヤ人」に対する批判でした。

イエスが説かれたのは、「悔い改めによって契約に留まることを通じて支配は拡大する」という教えです。

「契約遵守こそ、世界を変える」という契約的世界観こそが、イエスの教えでした。

「柔和な者は幸いです。地を相続するからです」はこの世界観を示しています。

律法そのものが「契約を守るならば、あなたがたは上にあり、けっして下にはくだらない」と教えています。

当時ローマ人によって支配を受けていたのは、力が足りないからではなく「契約に違反した」からです。だから、一度支配された以上は、その秩序を重んじて「支配者による屈辱を耐え、契約を守ることに集中することによって、異民族支配から脱出できる」というのが本物のメシアの姿でした。イエスはそれを実践された。イエスはアブラハム契約を忠実に実行されたのです。

ロスチャイルドは、この契約的世界観を否定した「武力革命論者のユダヤ人」の子孫なのです。イエスを十字架につけたユダヤ人の側に立っています。その証拠に、今のイスラエルの模範はローマ帝国に対して武力革命を行って玉砕した「マサダの戦士」です。

問題は、アシュケナジーかスファラディかの違いではない。

そもそも、アシュケナジーのユダヤ人は、もともとカスピ海沿岸部に帝国を作っていたカザール人の子孫です。

しかし、あの地方は、ディアスポラのユダヤ人が多数住んでいた地域であり、アシュケナジーのユダヤ人は血においてもユダヤ人である可能性は高い。

(3)
ロスチャイルドが日本人に対して異様な関心を向けるのは、ある程度、日本人の本質を見抜いているからと思います。

つまり、日本人が、「救われたユダヤ人」であると。

紀元70年に、イエスは来臨され、裁きを実行された。それは、「羊とヤギ」を分けることによって(マタイ25章)。

ユダヤ人も羊とヤギに分けられた。

イエスを十字架につけたヤギたち、つまり、「武力革命論者のユダヤ人」は滅んだ。滅んだというのは、文字通り地獄に行ったということではなく、異邦人の海の中に放り込まれた。聖書において異邦人の象徴は「海」です。ユダヤ人は、パレスチナの土地を追われ、散らされて、異邦人の中を放浪し、迫害されることとなった。その歴史は、迫害の地獄でした。各地においてユダヤ人は迫害された。

イエスを信じた人々、つまり、羊たちは、紀元70年の神殿崩壊の際に、エウセビオスによると、ペラという町に逃れた。ヨルダン川を渡って西に出た。

これは、出エジプトの民が聖所パレスチナに入る際にヨルダン川を東から入ったのと逆ルートです。聖所が破壊されたので、東の門から出た。

この場合、ヨルダン川は結界の役割を果たしています。それは、鳥居のようなものです。

さて、もはやパレスチナは聖所ではない。それは、破壊され、荒れ果てた。

だから、安息の地は、もはやパレスチナではない。では、どこが新しいパレスチナなのか。

私は、東の果ての日本ではないかと思います。

救われた集団は、一部はローマ帝国に留まった。そして、ローマを改宗させることになった。

しかし、本隊は、日本に来たのではないか。

そこで平和に暮らした。

こういった事情を、ロスチャイルドはまだはっきりとは理解していないのでしょう。

だから、聖所をパレスチナに再建しようとしている。

おそらく、ロスチャイルドら、ユダヤ人が霊的に目覚めるときに、日本こそが新しいエデンの園であることに気づくのではないかと思います。

しかし、その前に武力と陰謀による世界支配に挫折しなければならない。

霊的な暗黒の中にあって、悪魔に利用されている今の状況では、彼らは日本人の絶滅を狙っている。

しかし、回復した場合は、その過ちに気づくのではないでしょうか。

 

 

2010年8月9日

 

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