金の卵を生ませたいなら栄養をきちんとやれ


年金に関する議論を聞いているといつも、この人たちは単純な計算もできないのだなと思う。

電電公社の時と比べて、通信が自由化した現在、どちらが電話代が高い?

今、私が使っているのは全国どこにかけても3分7.5円だ。

もちろんインターネット電話ということもあるのだが、それでも以前と比較すれば段違いに安い。

保険も自由化してからどんどん内容がよく、掛け金も安いのが出てきている。

年金も同じだ。

政府に年金をやらせるから破綻するのだ。

民間にやらせたらいい。競争競争でどんどんとサービスはよくなるし、無理なことはやらないから収支も合うようになるだろう。

信賞必罰がしっかりしていない役所(役所の仕事そのものがだめというわけではない。仕事の領域が違うと言っているのだ)に任せると、甘え甘えでどんどんツケが積もっていく。

国民の中には年金など必要ないと思っている人もいるので、一律全員に渡さなければならないなんていう大雑把なサービスではなくて、年金をもらいたい人が自由にかけてもらえるようにすればいいのだ。

そうすれば、自分の掛け金にふさわしい額が返ってきやすくなる。

金持ちで将来に余裕がある人間は、年金にまわすよりも、投資などをしてもっと有効に使える道を探るだろう。

こんな単純な算数もわからなくなっているのは、

「国が国民の生活の面倒をみるのが当然。面倒みない国は、冷たくてだめな国だ」

という世界の常識がまだ根強く残っているからである。

私は言いたい。

「お願いだから、国は国民の生活の面倒をみないでほしい。」と。

こんな図体のでかい組織に、ニーズに細かな違いがある我々の生活の面倒が見えるはずがないのだ。

配給制よりも、商店で買い物をするほうがいいに決まっている。

一律同じ服を与えられるよりも、デパートに行って自分の好みに合った服を買えるほうがいい。

よおく考えれば、いかに国が生活の面倒を見る役目にふさわしくない組織かがわかるだろう。

しかし、マルクス主義の「救済主としての国家」というイメージがなかなか現代人の脳裏から抜けないものだから、いまだに「国民は将来に不安を感じている。しっかりとした老後の保障をしろと国民は訴えているのです。総理!」なんていう議員がいるのだ。

金の扱いについてまったく下手で、非効率で、無駄遣いばかりする国に生活の面倒を見てもらう時代は終わった。

竹中大臣も「小さい政府を目指す」と言ったそうだが、大賛成だ。

政府が関与する領域をどんどん小さくして、できるだけ税金を減らし、民間に金が回るようにしてほしい。

税収を上げたいならば、そっちのほうが最終的にいいということがわかるだろう。

金の卵を生ませたいなら、栄養をきちんとやることだ。

 

 

2005年3月6日

 

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