累進課税制度を撤廃せよ


今、テレビで、ある大学教授が「金持ちをもっと金持ちにすれば、貧乏人の所得は上がるという訳のわからない議論がアメリカのレーガン時代にあったが・・・」と述べていたので一言。

累進課税によって金持ちを罰して、貧乏人を甘やかすことによって、金持ちはやる気をなくすし、貧乏人は働くことそのものを厭うようになる。

なぜならば、累進課税は、不公平なシステムだから。

「金持ちから多くを取って、貧乏人から少なく取るのがなぜ不公平なのか?」という人がいるかもしれない。

もし同率で課税すれば、平等だが、累進課税とは、課税率が異なるのである。これが不平等でなくて、何が不平等なのだろう?

同率で課税すれば、金持ちも貧乏人も同じ負担が課せられることになる。たとえば、年収3000万の人から9パーセント取ると、税額は270万である。年収300万の人から9パーセント取ると、税額は27万である。

両者にかかる負荷は、それぞれ自分の体力に応じた額である。

しかし、累進課税の場合、課税率が異なるのだから、両者にかかる負荷は平等ではない。

年収3000万の人の課税率が40パーセントであれば、税額は1200万であり、年収300万の人の課税率が4パーセントであれば、税額は12万である。

低所得者側から見れば、「なんだ、3000万のうち1200万取られても、1800万残るじゃないか。」と思われるかもしれないが、取られた側から見れば、非常に不満が残るだろう。(*)

「3000万稼ぐのにどれだけ苦労したと思っているんだ。それが税金で半分近くも持っていかれるなんて!」と。

大きな所得を得るには、創意工夫、勤労、運など様々な要素においてかなりの努力が必要だ。

普通のことをやっていては、それだけの額は稼げない。たとえば、医者になって3000万を稼ぐ人は、それなりの教育と経験が必要であり、ときに人命を預かるわけだから、危険な橋を渡らねばならないこともあるだろう。

収入300万の人の責任と、3000万の人の責任の重さは当然異なるだろう。

累進課税によって課税率を不平等にするということは、並みの収入から大きな収入にアップさせることの背後にある血のにじむ努力や苦労を水泡に帰すことを意味するのである。

格闘家は、賞金を得るために、非常に危険な試合に出て、無数の傷を作って勝ち進まなければならない。3000万の賞金を得るにはどれだけのトレーニングと危険を乗り越えなければならないだろうか。

そういった高収入を得るために犠牲にする職業の人から40パーセントを取り上げ、危険もなく、それほどの努力も必要のない職業の人々にばら撒くならば、もうそういった苦労や犠牲の多い職業につきたくないと思うに違いない。

同率の課税で、すでに「多く与えられた者は多く要求され、少なく与えられた者は少なく要求される」という平等の原理は満足されているのである。

累進課税は、けっして平等ではなく、「富者からの略奪」である。

そして、それは、冒険心や進取の気性に富み、努力をいとわない人々の気持ちを萎えさせ、文化や経済を停滞させる、経済の癌である。

聖書の原理から見れば、富者をますます富ませれば、貧者も富むことになるという議論は、「課税率の平等」を意味しているのである。

富者の気持ちを萎えさせてどうして経済が活性化するだろうか?

儲かっている人々からがっぽり取り上げて、どうして経済が豊かになるだろうか。

部屋が暖かくなるには、ストーブに燃料を追加しなければならないのである。一部が燃え上がれば、その熱気は他の部分に移動する。

部屋を暖かくしようとして、ストーブに水をぶっかけるのは馬鹿である。

経済成長させたいならば、政府は、一日も早く累進課税制度を撤廃せよ。


(*) 以下、御意見をいただきました。

『「控除額」が関わってきますので、ざっと2000万円は手元に残るはずです。 それでも税金額が大きいことは変わりませんが、200万の差は凡人には大きいで』


 

 

2006年5月16日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp