革命思想に汚染されたクリスチャン


(1)
法律違反や社会的公正の観点で逸脱している牧師や教会はあるだろう。

だからといって、「こういう教会は、断罪されてしかるべき、ネット上でリンチにかけてもいいんだ」ということにはならない。

聖書的に見れば、教会が立てられてそれがたとえ腐ったとしても、それはあくまでも教会のままだ。

ダビデは、腐りきったサウルとその体制によって迫害され、命を狙われたが、絶対にサウルの命をとろうとしなかった。

なぜならば、「神を恐れていたから」。

「私は油注がれた人に手をかけない」と誓った。

「最近、こういう教会が多いじゃないですか。仕方がないでしょう」というかもしれないが、人間が生きている以上、腐敗堕落はつきもので、歴史的に見て、そんな教会ざらに存在する。

最近に特有の傾向では絶対にない。

一つの体制が終わって、次のそれに移行する場合に、腐敗堕落は起こる。

私は、今がその時期だと思う。

我々は、たとえ腐っていたとしても、立てられた権威として牧師をネット上でリンチにかけてはならないと思う。

もしやるなら、その教会の執行部(長老会)に訴えるべきだ。

それでも言うことを聞かない場合は、異邦人と同様に扱えとある。

(2)
愛は礼儀に反せず、という言葉がある。

人を扱う場合、礼儀を逸した扱い方、たとえば、その人の個人情報をネット上で流す、住所、電話番号などを、本人が「現時点で」流していない情報を故意に流すというのは、明らかに礼儀に反した行動である。

どんなに自分に大義名分があったとしても、そういう非礼を行ってはならない。

(3)
今のクリスチャンは、共産主義の革命思想に汚染されている。

腐敗堕落した人や体制に対して抵抗することが美徳のように教えられてきた。

学校教育が左翼だからだ。

しかし、聖書的に見れば、抵抗においては、ある手続きが存在する。

できるだけ上位の権威に訴えるという方法だ。

秩序を飛び越して訴える、革命を起こすということが正当化されるならば、あなたの職場や家庭においてそれが起こることを覚悟しなければならない。

あなたが非行を行うたびに、自分の子供や配下の人間から突き上げを食らうことを覚悟しなければならない。

なぜならば、あなたが上位者に対して行うことを神はあなたの部下によってあなたに報いるからだ。

 

 

2010年8月17日

 

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