再建主義は置換神学ではない2
置換神学は、「選び」というものを誤解している。
「選び」とは、人間の側の応答に左右されない。
一度救われた人はどんなに堕落して悪魔の側で働いていても、必ずいずれ復帰する。
なぜならば「神が選ばれた」からだ。
神はユダヤ人の祖先であるアブラハムと契約を結ばれた。
神はアブラハムとの契約のゆえに、今でもその子孫を覚えておられる。
一度結ばれた契約は絶対的に有効なので、人間の側で神の選びの事実が変化することはありえない。
「聖徒の堅忍」である。
それは、あの「放蕩息子」の話から明らかである。
家出をし、放蕩三昧のあげく破産した息子は、我に返り、父の家に帰ることを思い立つ。
父は彼を喜んで迎え、「死人がよみがえった」と言った。
放蕩しても息子は息子である。
立ち返るならば、神は喜んで迎えてくださる。
「立ち返り」こそが、選びの証拠である。
選ばれていない人は立ち返らない。
川口氏の自動車整備工場で働いていたH氏は、アマチュアの歴史学者として著名人である。古代日本史に関して膨大な知識を持つ人物である。
彼の父親は、キリシタン研究で有名な牧師であった。
あるとき、彼が、教会から離れている息子について川口氏にこう言った。
あの子は、好き勝手に生きてきたが、神様の手の中にいるのです。川口さんのもとで働くことができて本当にうれしい。どうか息子をよろしくお願いします。
2010年6月23日
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