神は耐えられない試練を与えない


私は、一度だけ精神の崩壊寸前にまで追い詰められたことがある。

1982年のことだ。仕事で研修生としてソ連に派遣され、1ヶ月後くらいたったころ、だんだん冬になりかけていた。レニングラードの冬は、長く、夕方4時ごろに太陽が沈み、10時ごろまで上がらない。

友人はおらず、仕事の不安、将来の不安などにかられた。おまけにソ連人は外国人と会話するとスパイ扱いされるので、接触を避ける。

過去のいろんな記憶が頭を占領した。部屋にいると気が狂いそうだったので、外に飛び出した。街をうろうろしたが、不安はますます心を占領した。

部屋に帰って、足が震え出した。歯がガタガタなった。「やばい、ぷっつり来る」と思った。

その時、精神病になることへの恐怖、恥ずかしさが襲ってきた。会社で精神がおかしくなったというレッテルを貼られ、首にされることの恐怖。実際、周りで何人かは精神的な病気でやめていた。

帰国しようと思った。研修生仲間の同僚に相談したところ、帰国を勧められた。だが、リーダーのH氏に相談してみるのもいいかもしれないとアドバイスを受けて、H氏のもとを訪れた。

それまでほとんど会話したことのなかったH氏だったが、私を励まし、慰めてくれた。

「君、僕もつらいんだよ。同じように精神がやられそうだよ。だから、いっしょに頑張ろう」と言ってくれた。彼は、NIという会社から派遣されてきた2年先輩である。

危機一髪で救われた。あれを乗り切れなかったらおそらく発狂し、精神を病んでいたことだろう。

私は、ぎりぎりのところで救われた。

帰国してからも、仕事に関しては相当きつかった。自分がやるべきことではないという違和感を耐えながらというのは相当きつい。それは、仕事のきつさとはまた違ったきつさである。

しかし、どの場合でも、すべて耐えられるように、ドアが一つ開いた。だから、神は耐えられない試練を与えず、耐えられるように逃れの道も用意してくださるという御言葉は真理である。

自分から試練を回避していくと、いずれ同じ試練がやってくる。神の学校では、課程をスキップすることは許されない。我々は神の作品であり、神の計画にのっとって原石から彫刻が切り出されるように整えられていく。

 

 

2008年2月23日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp