十分の一の不払いを正当化する人間はクリスチャンではない2



彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。
キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
アナニヤはこのことばを聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。
青年たちは立って、彼を包み、運び出して葬った。
三時間ほどたって、彼の妻はこの出来事を知らずにはいって来た。
ペテロは彼女にこう言った。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのですか。私に言いなさい。」彼女は「はい。その値段です。」と言った。
そこで、ペテロは彼女に言った。「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、あなたをも運び出します。」
すると彼女は、たちまちペテロの足もとに倒れ、息が絶えた。はいって来た青年たちは、彼女が死んだのを見て、運び出し、夫のそばに葬った。
そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。(使徒4・34−5・11)

献金に際して注意しなければならないのは、「聖霊への欺き」を避けることだ。

アナニヤとサッピラは、教会への献金の際に、自分の収入を偽った。

「これが私の収入の全額です」と。

実は、もっと収入があって、隠しもっていたものがあった。

誤解しないでほしいのは、「使徒たちは、任意の献金を求めた」のであって、十分の一ではない。

つまり、彼らは出したくなければ出さなくてもよかったのだ。

それなのに、「全額です」といった。

これは、「聖霊への欺き」である。

奉納物や献金に関しては、神に対するものであるから、人間に対する詐欺ではなく、神に対する欺きになるので、致命的なのだ。

神に対して自分の所得をごまかして、献金を小額で済まそうとすることは、聖霊を冒涜することであり、それゆえ、永遠の刑罰にあう。

アナニヤとサッピラは、使徒たちの目の前で倒れて死んだ。

だから、教会への献金は非常な注意を必要とする。

神を欺いてもいいと考えることは、永遠の刑罰に直結している。

 

 

2010年5月22日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp