衣服はキリストを象徴している2


堕落以降、自然にあるもの全体が異常になり、不完全なものになった。

創造時の自然について、聖書は「それは非常によかった」と証言している。

しかし、アダムが堕落して、被造世界全体がその堕落に巻き込まれて以来、自然は不完全になった。

それゆえ、人間が自分の裸を覆うべきであるのと同様に、被造世界全体も自然の姿を覆うべきである。

自然はその剥き出しの姿では神に受け入れられない。神殿の祭壇から律法の巻物にいたるまで祭司はすべてに血を振り掛けたのは、自然に存在するあらゆるものに贖いが必要だということを象徴している。

ヒューマニズムは、「自然は規範であり、贖いの血を振り掛ける必要はない」と考える。

人間の認識能力は前提とでき、それにキリストの贖いの血を振り掛ける必要はない、と主張する。

そして、そこからヒューマニズムは世界全体を再編した。我々が学校で学んだことは、この間違った前提から出発しているので、それをそのまま受け取ることはできない。

クリスチャンは、人間が作り出したすべてのものにキリストの血をふりかけなければならない。清めの血を経ずにそれらを受け取ってはならない。

クリスチャンがキリストの血によって清められたもの以外を受け取ってはならないのだから、ヒューマニズムの文化をそのまま受け取ることはできないのである。

そのまま受け取る人は、裸のままで神の前に出て裁かれる人に似ている。

 

 

2004年5月16日

 

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