市民運動が弱体化した原因は弾圧にではなく自滅にある


私が大学に入学した頃、まだ学生運動の名残があった。

しかし、卒業する頃になると、それはほとんど消えかかっていた。

どうして学生運動や市民運動は退潮になったのか。

今、政府がやっているめちゃくちゃな政策にどうして納税者はデモを行って抗議しないのか。

一つは生活レベルが上がったということがある。生活に不満が少なくなると人々は抗議行動を控えるようになる。

しかし、私が一番大きな原因だと思うのは、リベラル運動の自滅である。

せっかく市民運動を開始しても、内部対立、内ゲバ、一般人から支持されないようなヘンテコな主張などで、自滅し、漁夫の利を当局に取られてしまったのである。

リベラル運動家の方たち!考えてみてください。

アムネスティのように、せっかく理不尽な逮捕拘留の目に遭っている人々を助けるという尊い活動をしている良心的な団体でも、殺人犯の死刑反対というとんでもないことを言うことにより、自ら良識人の支持を拒否しているのである。

男女区別撤廃運動をやることによって、市民運動は、普通の人々の気持ちを離れさせているのである。桃太郎の話を、「おばあさんは山へ柴刈に、おじいさんは川へ洗濯に・・・」と変形するジェンダーフリーなる馬鹿丸出しの運動に関わることによって、正常な感覚を持つ一般人を自ら遠ざけているのである。

市民運動は当局の弾圧によって滅んだのではなく、自滅したのだ。

この市民運動、学生運動、リベラル運動の自滅は、後代の人々の気持ちを萎えさせた。ことごとく失敗するので、やる気がうせた。

これだけの暴政を前にして人々が何もしようとしないのは、「やっても無駄だ」と思っているからであり、そういう状況を作り上げたのは、運動家の間違った平等思想にあるということに気づくべきである。

 

 

2007年1月5日

 

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