偶像礼拝を避ける唯一の方法は聖書に完全に依存することである
(1)
なぜこんなに聖書の一節一節にこだわるのか。
なぜならば、人間にとって頼るものは、聖書しかないからだ。
被造物に頼ることを聖書では偶像礼拝と呼ぶ。
我々は、被造物には一切頼れない。
人に頼れない。金に頼れない。名誉にも頼れない。
なぜか。
必ずサタンが介入するからだ。
人に頼ろうとした瞬間にサタンはその頼られた人に作用する。
そして、自分をその人を通じてコントロールしようとする。
私も何度も体験した。
経済的に困窮したときに、ある人に頼ろうとした。すると、突然彼の態度が豹変した。
「あのねえ、このお金は、僕がある人から頼み込んで借りたものでねえ。その人は非常に厳しい人なんですよ。返せないと、何をされるかわからない。そこでですねえ、携帯を契約してほしいんですよ。もちろん毎月払いますけどね。」
普段はやさしいよい人なのに、態度ががらっと代わり、やくざのような声になった。
そこで、すぐに頼るのをやめた。
一切付き合わないことに決めた。
後に、彼が話したところによれば、ものすごいトラブルに巻き込まれて、警察沙汰になったと。
そこで悟りましたと。
「牧師とか伝道者を困らせるとろくなことにならない」と。
このように、我々クリスチャンは、隙を狙う敵に囲まれている。
サタンは我々が心を許す人、頼る人に入る。
そして、我々を困らせて、身動きの取れない状況に落とそうとしている。
だから、人には頼れない。
「じゃあ、この世で生きていけません。人に頼ってみんな生きているのですから。」というだろうか。
もちろん、我々は他人なしで生活できない。
大なり小なり頼っている。
問題は、「第一義的に頼る者」が誰かである。
第一義的に人間を頼るとサタンが入る。
だから、クリスチャンは、絶対に第一義的に人間に頼れない。
第一義的には神にだけ頼るべきだ。
そして、第二儀的に頼る人を送ってもらうことだ。
我々は必要な場合、こう祈るべきだ。
「神様、私は人に頼りません。神様が人を送ってくださることを求めます。」と。
まず直接に頼るのは神だけ。
そして、神に人を送って助けていただく。
そうすれば、人間を崇拝せずに、人間に頼ることができる。
(2)
神に頼るということは、具体的には、聖書に頼るということだ。
聖書に記されている啓示は、我々にとって絶対的な権威がある。
聖書啓示を真剣に受け取り、第一の行動規範として仰ぎ見るときに、我々は神に頼っている。
神に頼る人は、聖書において「○○しなさい」とあれば、必ず、文句を言わず、疑わず、躊躇せずに○○を行う。
たとえば、聖書に「悪魔に立ち向かえ。悪魔はあなたがたから逃げさるから」という言葉がある。
本当のクリスチャンは、文句を一切言わず、疑わず、躊躇せずに「判りました。サタンに立ち向かいます。サタンは私に必ず負けます」と信じて行動する。
これだけが正しい態度だ。
我々にとって御言葉は絶対的権威であり、これ以外に頼るものは何もない。
だから、これにしがみつくべきだ。
聖書の一点一画に依存すべきだ。
だから、聖書に何が書いてあるかは、我々にとって死活問題である。
2010年4月17日
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