急がば回れ
すぐに結果を求める。
これは、現代人の悪い癖だ。
以前任職していた教会では、1年間に5人洗礼に導くというノルマがあった。このノルマを達成できたのは私一人しかいなかったが、再建主義者ということで牧師の任職は許されなかった。早稲田大学近辺のアパートのドアを一軒一軒叩いて伝道し、洗礼にまで導くというのはかなり大変である。
教会成長学の導入によって、世俗の会社の営業成績アップのやり方が教会に導入された。
伝道団体では、伝道の法則が書いてある小冊子が配られた。
教会の規模を百人以上にしようと各地の牧師が目の色を変えて信徒獲得に走った。
新来者を過剰に尊び、それまでいる信徒が軽視された。
なんだかおかしいぞ。
こんな気持ちが教会員の間に芽生えた。
5歳の子供に15歳の子供の水準を適用するのが間違いなように、5歳レベルの教会に15歳レベルの教会のことを要求するのは間違いである。
教会は有機体であり、人体と同じようなものだから、急激な発展を期待すると、無理が生じる。
結局は、地道に信徒訓練をやる教会が勝つのである。
信徒訓練の中心は教理である。
信徒訓練といって、ABCばかりやっていても、教会は正常に成長しない。
10年選手の中堅クラスの信徒には、それなりのことを教えなければならない。
一番よいのは、聖書研究である。自分で聖書を読めるように訓練するのである。
小グループを作って、聖書を一節一節読み、感想を言い合う。司会者は、いのちのことば社の「新聖書注解」をつかって、正しい解釈を用意しておく。しかし、すぐに回答を与えてはならない。みんなに考えさせるのである。
こういった地道な訓練を通じて確信をもつ人々を増やすことである。そうすれば、教会は長期的に成長する以外にはない。
しかし、あまりにも結果を求め、成長を急ぐあまりに、地道な教理訓練をせず、聖書を読む訓練をしなかったために、何十年たっても、信徒の数は殖えず、かえって振り出しに戻っているではないか。
急がば回れ!
教会はこれをモットーにし、教会成長学なるものにだまされないことである。
2006年5月28日
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